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2010年12月15日

スラムのお産の話

皆さんこんにちは。早川千晶です。
昨日の私の日記に、Mildwileさんが書き込みしてくださって毎日新聞の記事をおしえてくれました。ありがとうございます!

http://mainichi.jp/select/world/news/20101214dde041030007000c.html

毎日新聞さんは、今年後半ずっとシリーズでたくさんの記事を載せてくださり、ほんとにありがたいです。

今年の夏、取材に来てくださったときも、とても丁寧に取材してくださり、しかも、真心ある愛情のある視線を現地の人たちに向けてくださいました。 これが私たちは本当に嬉しかったです。


上記の記事の中にある、アニャンゴちゃん(取材中に生まれた赤ちゃん)が、たった1ヶ月であっけなく亡くなったとき、私はものすごくショックで、アニャンゴちゃんのために何もできなかったことを心から悔いました。
ユニスさんは行き倒れのような状態で、フリーダさんの産院に担ぎこまれてきて、そこで出産したので、着の身着のまま、家に行ってもまったく何もなくて絶句しました。赤ちゃんに着させてあげられる産着はまったくなかった。それどころか、赤ちゃんをくるむカンガすらありませんでした。ユニスさんの着替えもなかった。家(粗末な掘っ立て小屋の一部屋、ふきっさらしくらいの状態)の中には本当にほとんど何もなかった。食べ物もない。
5歳のシェリルちゃんはきゃーきゃー笑って走り回っていました。しばらく洗っていないようで真っ黒でした。着替えもない。ぼろぼろのワンピースの下には、パンツをはいていなかった。パンツ持っていなかった。

生まれたばかりの小さなアニャンゴちゃんに、せめて新品の産着を着せてあげたかった。だから2組買いました。上から下まで全部。新品で。
肌着と、よそいきの服と、毛糸で編んだ上下と帽子と靴下と、ふわふわのおくるみと。
ぴかぴかになったアニャンゴちゃんが、掘っ立て小屋に帰ってきました。

スラムのお産の話

アニャンゴちゃんを連れて自宅に戻ったユニス・アチェンさん。
5歳の長女シェリルちゃんが迎えた=ケニア・ナイロビのキベラスラムで、
小松雄介撮影


アニャンゴちゃんが亡くなって、マゴソのオギラ先生が埋葬から何からすべてやってくれました。
スラムの中で死んでも、市営の遺体安置所に連れて行かねばならない規則があります。アニャンゴちゃんの遺体は、遺体安置所からなかなか引き出させてもらえなかった。ユニスさんは教育レベルが低く、何をどうしていいかわかりません。お金をもってこいといわれて途方にくれていました。(遺体安置所にはけっこうな費用がかかるんです。)ユニスさんはお金をまったく持っていませんでした。
オギラ先生が父親のふりをして、お金を払って遺体を受け取り、埋葬まですべてやってくれました。

ユニスさんはしばらく、精神状態が不安定でした。
私とリリアンは、マゴソのそばに彼女のための部屋を探しました。
なかなか空き部屋がない。家賃もどんどん高くなっている。
こういう人たちには、行き場がありません。
やっと見つけた空き部屋に、彼女に引越ししてもらいました。
お姉ちゃんのシェリルちゃんは、マゴソファミリーの一員になりました。
すぐ隣の長屋なので、いつでもお母さんに会えます。
シェリルちゃんは、マゴソの制服を着て、マゴソの中を走り回って遊んでいます。幼稚園生になりました。
マゴソで勉強して、ごはん食べて、遊んで、夜寝るときだけお母さんのところに帰ります。
生活を立て直して、ユニスさんもだんだん、元気になってきました。
ちょこちょこと外に働きにいっています。日雇いの仕事を探します。

もしも平穏な家庭ならば、
赤ちゃんが産まれてくることをみんなで楽しみにして、
産着やベビーベッドなども用意して、
おじいちゃんおばあちゃんたちが楽しみに待っていて、
そして、みんなから喜ばれて祝福されて、生まれてくるでしょう。
生まれたばかりの純粋無垢な赤ちゃん、壊れもののようでとてもやわらかくてかわいくて、いいにおいがします。
同じ命なのに、アニャンゴちゃんはこんなにもつらい状況で、こんなにもあっけなく死にました。
人生は不公平すぎると思います。
ユニスさんは何も悪いことをしていません。
新しい産着を買ってもっていったとき、ユニスさんは、とても嬉しそうな顔をして誇らしげにそれをアニャンゴちゃんに着せました。(ぶかぶかでした。)
アニャンゴちゃんも、新しい産着を着て、ぴかぴかの赤ちゃんになりました。すごくかわいかったです。
その嬉しそうなユニスさんの顔や、ぴかぴかの赤ちゃんだったアニャンゴちゃんの姿を、いつまでも覚えていたいと思います。

この取材の直後にケニアに来た、障がい者正吉さんスタツアメンバーに直前に呼びかけて、赤ちゃんの古着をたくさん持ってきていただきました。
ちょっと声をかけたら、すぐに集まったそうです。
それをフリーダさんの産院で働く熱血助産師のリディアさんに持っていったら、歓声をあげて喜んでいました。
返り血をあびながら次から次に赤ん坊を取り上げていくリディアさんは、たったの28歳なのに目がすわっている熱血助産師です。(美人なんですよ。たまに笑うと、すごくかわいい。いつもは厳しいですが。)
白衣が何枚あっても足りないのを、取材のときに見ました。
中古の白衣もスタディツアーのメンバーたちにお願いして集めました。
あまり集めてしまうと飛行機のチェックイン荷物の重量オーバーになってしまい持てあましますので気をつけてもらいたいのですが、それでも、ケニアに旅行に来るときにちょっとだけこういうものを持ってきていただけると、喜ぶ人たちがいます。
私に会えない人は、JACIIの上田先生に預けておいていただければ、受け取ることができます。

スラムのお産の話


世の中は不公平です。
でもこの不公平に負けたくないです。
悲しみや苦しみや醜いことに打ちのめされてしまいたくないです。
アニャンゴちゃんが生まれたとき、アニャンゴちゃんの顔を見ながら、ユニスさんは本当にしあわせそうな嬉しそうな顔をしていました。
こんなに貧しいのに、なぜ子どもを産むのか、次から次に生まれてきて、産まないほうがいいんじゃないかと言ったとき、リディアさんはこう言いました。
「この人たちにとって、子どもを生むことは人生の数少ない喜びなのよ。それを奪うことはできないし、止めることはできない」
リディアは、ひたすら赤ちゃんを取り上げ続けて、仮死の赤ちゃんを蘇生させ続けています。

ユニスさんが大切そうにアニャンゴちゃんを抱いていた、あの姿をいつまでも忘れたくありません。

考えて、何かしていかねばならないんです。なぜ私たちが生きる世の中はこんなに不公平なのかということ。
コツコツと、みんなで変えていくことはできると思います。

マゴソスクールを訪問する人は、ぜひ、シェリルちゃんはどの子なのか聞いて会ってくださいね。ほんとにワンパクでかわいい子です。
そして、頭の回転が速いんですよ! シェリルちゃんはいっつも忙しそうです(笑)

ユニスさんも落ち着いてきたのでよかったです。
そうやって、みんなで一緒に生きていければと思います。

私は今日から1月6日まで、アメリカに行ってきます。
皆様どうか良いお年をお迎えください。
そして、2011年もどうかよろしくお願いいたします。
いつも応援してくださって心を寄せてくださって、本当にありがとうございます。

早川千晶




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Posted by アマム at 18:08│Comments(0)ケニアのこと
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