マゴソスクールを支える会ホームページhttp://magoso.jp
マゴソTV(マゴソスクール映像) https://www.youtube.com/watch?v=Li-3eeJUDOc&index=1&list=PLC4821796126BE39E/
1食10円でごはんが食べられます。↑マゴソスクール支援の募金お願いしま~す。
募金先はhttp://africaze.ti-da.net/c136261.html
2009年12月16日
マゴソ卒業生の現実
早川千晶さんより近況報告です!
皆さん、こんにちは。
ふぅ~っと、息をつくヒマもないほど密度の濃い毎日。楽しく過ごしていました。
書きたいこと、伝えたいことがたくさんあるのに、書く時間がなくてごめんなさい。
そうこうしているあいだに、今週また日本に向かうのであります。 今回は、たった1週間の日本滞在なのですが。
何だかこうして行ったり来たりできることがありがたく楽しく嬉しいです。 世界はどんどん近くなっているような気がしますね。
しっかり書こうと思うとなかなか書けないままに時間ばかりたってしまうので、断片的にでもいいのでとにかく近況報告を。

★ジュンバ・ラ・ワトトとマゴソスクールの8年生、受験、&卒業!
2009年度は、合計21名の受験生でした。
みんなとてもがんばりました。 イキイキとして卒業しました。
卒業生たちは、すぐにマゴソOBOGクラブに入り、なんだか急に大人っぽくなったような、初々しいような。
とってもキラキラしててまぶしいですよ。
やっぱり、小学生たちにとって、マゴソOBOGクラブの先輩たちの姿は、憧れであり、早く自分もあそこに入りたいなぁ!
と思っていたことでしょう。 そうやって新入りが入ってくると、先輩たちがまた頼もしくなること。
私たち大人にとっては、なんだか、今年も昨年もおととしも、5年前や10年前も、そんなに大きな違いがなかったりするもんですが、こういう子どもたちにとっては、1年というのはものすごく大きい。とても大きな変化があります。
受験結果は、私が船の中でアジアの海を漂っているころに出ます。
船の中ですぐに結果を見たいから、すぐにメール送ってもらうことになってます! とても楽しみ。
輝かしい未来に夢がいっぱいというかんじの、新鮮な卒業生たちです。
今年の卒業生は、マゴソと長い関わりの深い子が多いので、また感無量です。とても苦労した子も多いです。
11月最後の日曜日に、ジュンバ・ラ・ワトトで卒業式&近所の皆さんにありがとうの年末パーティを行い、
そして、おとついの日曜日、キベラのマゴソスクールで、年末クリスマスパーティを行いました。
たくさんのお客様が来てくださって、とてもにぎやかに盛り上がって、感謝!
そして、神戸先生も来てくださって、アメージンググレースを吹いてくださいました。すごく嬉しかった!
なんだか、とても激動的な1年だったなぁと実感。 いつの間にやら、子どもたちは合計500人近くなりました。
いろいろなことに挑戦して、走り続けた1年間というかんじでしたが、2010年はさらにもっと動きたいと思っています。
お世話になった皆さんに、心から感謝です。 2009年もささえてくださって、本当にありがとうございました。
2010年も、どうかよろしくお願いいたします!
★マゴソOBOGクラブ、すごい勢いで成長しています。
前学期末のミーティングのとき、女子から、様々な学校の問題について告白があり、話し合いの結果、転校できる学校を探すことになりました。 そして、無事、転校が決まりました。お世話になった皆さんに、本当に感謝です。
ピースジュニア学校の校長先生(故ピーターオルワさんのお姉さん)に助けていただかなければ、転校できる学校は決して見つからなかったと思います。 女子10名、1月から無事転校することができます。
ミーティングで、女子も男子もとても活発に発言して、自分たちの問題や学校生活の様子、悩み、今後の目標や夢などみんな大いに語りました。 彼らの話から、ケニアの普通の高校生活というのがどういうものかということがイキイキと伝わってきます。
なかなかタイヘンな要素がいろいろとあるのですが、みんなほんとによくがんばっているなぁと思います。
私はこれまで、ケニアというのは日本に比べて「いじめ」というものがずっと少ない国だと思っていたのですが、
やっぱり、人間生きているところどこでも「いじめ」というのはあるものなんですね。
ケニアは、明暗ほんとにあからさまな国で、裕福であればあるほどチャンスが高く、
貧しければ貧しいほどチャンスがない国です。 特に、子どもたちの世界でも、その格差というものは極端です。
マゴソOBOGクラブの男子たちがいっている学校は、けっこうレベルの高い男子校なのですが、やはりレベルが高い高校というのは、裕福な家庭の子が多い。ケニアの場合、貧しい子どもは優秀でもなかなか進学できるチャンスがない、だからやはり、高校に行くと、キベラ出身者というのはめずらしい。そして、「もと浮浪児」というと、さらにめずらしいわけです。
ナイロビには、「もと浮浪児」という生徒たちを優先して入学させてくれて支援をしてくれるとても優秀な学校があるんですが、
そういう学校は特殊です。
私たちのマゴソOBOGクラブが進学した高校は、ごく普通の州立高校ですので、「もと浮浪児」には会ったこともない生徒がほとんど。「キベラ」というのも、テレビのニュースで(もちろん怖いニュースで)しか知らない。
そして、州立高校は規模も大きく、人数も多い。男子たちは、びっちり50名くらい入った学級が1学年に5クラスや6クラスあり
そこでもまれるわけです。
マゴソスクールは、とても家族的な学校。
っていうか、学校じたいが家なわけで、そこで大事に育まれて、自分のいろいろな事情をわかってくれる先生たちが親身になって助けてくれて、学校の仲間たちも似たり寄ったりの事情でやってきているお友達。 そんな中で、ぬくぬくと、居心地よく育ってきたわけですね。 セカンダリースクールに進学すると、それまで想像もしていなかった試練が待っているわけです。
マゴソOBOGクラブはみんなでめきめき成長してきているけれども、それと同時に思春期の悩みも深くなっていきます。
夢に見てきた、セカンダリーへの進学、それが実現してとても嬉しい反面、精神的なつらさ、違和感や異物感と闘っている生徒たちもいます。
もと浮浪児だったということや、孤児だということ、貧しいということなどを、さげすまれて、心無いいじめにあったり、さげすみの視線を受けて針のむしろのような日々を過ごしていると告白した子もいます。
だから、成績がいい子も悪い子も、みんな同じひとつの学校に入るようにしたのですが、それがとてもよかった。
みんなで助け合って、励まし合っている。
でもそんな中で、みんなになじめず、そしてみんなの個人情報を何かとかげぐちをたたいて、何かといえば意地悪をしてしまう女の子がいます。 今回のミーティングでは、そのことを、涙ながらに訴えた子がいました。 みんな泣いて泣いて。
その子は、自分が孤児だからといって、なぜこのようにかげぐちを叩かれてさげすまれなければいけないのか、
でもどんなにさげすまれても、私はがんばりたい。と言いました。
何かといえば意地悪をしてしまう子も、実はマゴソスクールに小学校低学年からいた子です。
この子はたくさんの子どもたちを残して母親が失踪。父親は悪いことをして稼いでいる人です。
小学校高学年ごろから、性格が暗くなってきました。 そして、人に意地悪をしてしまいます。
でもあとで個人面談をしていたときに思いました。
意地悪をしてしまう子には、なぜ意地悪をしてしまうのかという理由があるんだと思います。
そして、いろいろ苦しいことがあるから、意地悪をしてしまうんだと思います。
そう思ったことを、双方に話したら、双方とも、なんだか落ち着いてきました。
意地悪したほうの子とも、個人面談をしてみると、「不安なんだ」と言いました。
自分の成績が悪いことに対しての不安だと。
それで、休みの間に、補習授業を用意するから、そこでがんばって成績を改善しようね。
と言ったら、すごく安心して、笑顔を見せていました。
私が思ったのは、本当は、不安なのは成績のことではないんじゃないかなっていうことです。
何が不安なのか、何がもやもやしているのか、説明ができない、だから、成績のことなんだ
と言ったんじゃないかと思います。
誰かに自分のほうを見てもらいたいという気持ち。 だから、ちゃんと見てもらえたら、安心します。 その繰り返し。
彼女の家の中には、平安や安らぎはありません。その状況を、私たちは長年の付き合いなので知っています。
お父さんは、人を騙したり脅したり悪いことをしてお金を儲けているのに、子どもたちには腹をすかせたままで放置。
そして、お父さんは嘘つきで、酒飲みです。
せめて優しいお母さんがいればと思うけれども、お母さんも子どもたちを置いて出て行ってしまいました。
あともうちょっとだ、と思います。
中学・高校生くらいって、もう子どもでもなく、かといって大人でもなく、つらいときですよね。
私は、彼らが、こういう自分の人生状況を、よく見つめて、よく向かい合って、受け止めて、乗り越えていく手伝いがしたいと思っています。
小学生くらいのときは、ひもじいときにごはんが食べれたら嬉しい、おうちの状況も(傷つくけれども)、なんだかよく把握できていない、状況に対して受け身であるしか仕方がないと思います。
だけど、そこから大人になっていくということは、良かれ悪しかれ、自分の状況や自分の人生を、知らなければならないし、向かい合わなければなりません。 それがなかなか、ストレスも多く、傷もざっくり深くなるというプロセスではないかと思います。
もと路上の浮浪児で、「僕は他には何もいらないから、学校に行きたい。」
といってマゴソスクールにやってきたトニーが、今年晴れてセカンダリーの1年生になったというのに、
そしてしかも、進学してからすぐに、食堂主任という要職?に抜擢されたくらい、学校でも幅をきかせて
がんばっていたはずなのに、3学期の終わりに、最後の最後に学校を飛び出してきてしまいました。
そして私に、「学校を辞めたい。」と言います。
先生たちは、怒ったり、なだめすかしたりしながら、なんとかトニーからことの真相を聞きだそうとするのですが、がんとして理由を語らず、がんこに、学校に戻りたくないと言う。
やはり貧しい出身者の先生ばかりなので、頭にきて興奮して怒る先生もいました。親身になって優しく相談に乗ろうとする先生もいました。 でも、トニーが、がんこ、がんこ。 辞めるといって、ききません。
そんな、支援を受けられる幸運に恵まれていながら、そんなことが許されると思っているのか!と怒る先生もいました。 確かに、支援してくださっている皆さんに、いったいどんなふうに説明すればいいのかと、私も悩みました。
だけど、トニーがここまでガンコに、かたくなな行動になっていることには、理由があるはずだと思いました。
本人には説明できないかもしれないけれども。
あの手この手で聞き出していったわけですが、まったく要領をえない、ああいったりこういったりする、
そんな状態だったのですが、 いくつか、核心をついているようなことも話していた。
まず、成績的に、落第点をとったせいで、学校側から補習を受けて追試を受けるように言われたわけなのですが、
そこから逃げ出してきてしまったのです。
でもどうやら、それは、ただたんに、補習や追試がいやで逃げてきたというわけではなさそうでした。
体調の不調を訴えたりもしました。だけどそれもどうやら、ほんとに病気なわけではなさそうです。
胸の奥深く、肺の奥が痛くて、息ができないほどになるときがあるというのでした。
でもそれに対して、マゴソの若い先生たちが、
「なに言ってるんだ! 胸の奥が痛いといいながら、オマエは大きな声でいつも歌を歌って長い時間歌い続けて祈っているではないか!」という。
でも、そうじゃないんだ、ほんとに痛いんだ。と言って、どうも、どこにもたどりつかないような話になってきた。
でもまずは、それならほんとに病気かどうか、胸のレントゲンをとってみようね。お医者さんにも行こうね。と言ったら、とりあえず安心したような顔を見せました。 (今週、病院に通っています。やっぱり、何も問題なさそうなんですが。)
そしてさらに、個人面談のとき、私と匡哉と話をしたいと彼が希望をしてきた。 そこで言うには、
「なんだか自分がコントロールできない。 勉強していても、ふっと、どうしても歌が歌いたくなり、
その衝動をおさえられない。 だから、勉強に集中できない。」 と。
でも、いろいろ聞いて総合してみると、どうやら彼は学校で、2学期ころに自分の過去の事情を知られて、それから周りの仲間たちや先生たちの態度ががらりと変わったと感じているようであった。
蔑んだ目で見られている。口をきかなくなった。
冷たくなった。 と、彼は感じているようでした。 そして、巨大な学校の中で、ストレスを感じると。
そして、自分は音楽の道をいきたいと、そこは確信を持っているので、このまま音楽の道を歩みたい。と彼は言う。
うーん。困った。と正直思ったのですが、 でも、やっぱり、とても強く思ったことは、
音楽が好きなのはわかる。だけど、音楽を逃げ場にしてはいけない。 ということでした。
それと、ここで逃げたら、彼は一生、逃げ続けてしまうかもしれないと思いました。
きっと、今まで経験したことのない試練で、とても混乱したことでしょう。
路上の生活をしながら、祈り続けて信じ続けてきた子です。
食べ物も、屋根もなく、そんな路上で生き抜いてきた、
そのときの苦労とは、また違う種類の苦労を、この高校生活の中で経験しているのだろうと思いました。
逃げてはいけない。と思うのだけれども、でも、逃げないで踏ん張り続けろ。と言うことにも、正直、胸が痛みました。
でもやはり、自分の人生だと思うんです。
自分が路上の浮浪児だったということ、自分がどんな人生を持って生まれて育ってきたかということ、それは、自分がどれほど望まざる状況だったとしても、その事実を変えることはできません。
その事実を受け止めて、そういう自分だからこその人生を生きて、その上で、そんな経験があったから今があると思える人生を生きるのがいいと思うんです。
でもそれは、10代の、まだ大人になりきっていない子にとって、なかなか酷な話ですよね。
何しろ、説得したりいろいろな話をしたり。
そんなふうにして最終的に、しぶしぶながらも、トニーは、1月に学校に戻ることをうなずきました。
一緒に学校に行って一緒に謝って話をしてくれると、ダン先生(マゴソ校長)がとくとくと、ほんとに愛情深く話をしてくれました。
そんな人たちがいて、実際、トニーは幸せだと思います。
なんだかどうしようもないようなモヤモヤを抱えて、つらいだろうけれども、なんとかがんばってもらいたいものだと思います。
そして、最近のトニーは、なんだかほんとに支離滅裂、言っていることも支離滅裂で、いったいどうしちゃったんだろう?というかんじなのですが、整理がついてくることを信じて、見守っていきたいと思います。
★学校が休みに入り、マゴソTV!の撮影を再開しました。
今回、ほんとに素晴らしかったと思ったのは、トニーの1学年上のオビリ(やはり路上の浮浪児だった)が、自分のことをレポートしたいと言い、オビリの路上生活時代のこと、どんなふうに浮浪児をしていたか、家族の事情、生活の事情など、すべて追って撮影していくことをしました。
そして彼が語りました。たくさんのこと。 彼自身のナレーションで、このことを伝えていくスタイルにすることにしました。
何度も何度も話し合い、何度も何度も書き直し、どうしたらより伝えることができるのか、伝えたいことの核心は何なのか、
真剣に、作っていきました。
最後の最後で、奥にあるものを搾り出せたのではないか?という手ごたえを感じましたが、これは、これから匡哉が編集していってくれる中で見ていかないと、どのくらい引き出せているか、まだ確信はありません。
でも、この取り組みができたことで、何か、また新しい領域に、一歩を踏み出せたような気がしています。
産みの苦しみは、やはりほんと、なかなかタイヘンで苦しいのですが、みんなほんとに真剣に取り組んでいて、そして、そうやって取り組んでいく中で、ありありと成長が見えます。
★女子のアギーも、自分のことを語るレポーティングがしたいと希望し、彼女のキベラの暮らしの様子を詳細に渡って追っていきました。
話の詳細の中から、あまりにも貧しい、これほどまでにどん底に貧しい、そんな暮らしのディテールが浮き彫りにされましたが、ときどき絶句しながらそんな話を聞いたり、詳細を撮影したりしていましたが、そんな中で、彼女が、「でも私は、この暮らしを、誇りに思っています」と言いました。
「ここで私はこうして、家族と共に暮らすことができる。
この世の中には、家族と共に暮らせない人もたくさんいる中で、私は家族と共に暮らすことができる。
それに感謝し、そして誇りに思っている。」と彼女は言いました。
★それにしても、なぜこんなことがこの世の中には起こるんだ?と思うようなことが、次から次に、起こります。目の前で。
人間とはいったいなんなんだ? 生きるということはいったいなんなんだ? ということ。これは究極の問いです。
でもそれでもこうして、ひたすら生きている人々の姿。
生きるということは、なんて尊いことなのだろうかと、強く思います。
でもやはり、変えていきたい。
不幸な状況は、改善していきたいです。
★今年のクリスマスパーティも、
子どもたちみんな、歌い踊り、太陽の下で、本当に輝いていました。
私も、一生懸命、生きていきたいなと思うわけです。
絶望ではなく希望を、あきらめではなく勇気を、
不安は捨てて安心感を持って、
信じて、かならず大丈夫だと信じて、
これからもがんばっていきたいです。
他の近況報告も書きたかったのですが、マゴソOBOGクラブの話で終わってしまいました。また書きますね。
あと数日で出発なので、バタバタと準備をしています。果たして間に合うかっ!?
今日、マサイのジャクソンさんがナイロビ入り。
明日、マサイ牛貯金プロジェクトの年末ミーティングや、家族会議、
「マサイのいま~伝統と変化のはざまで」ドキュメンタリー映画の今後のスケジュールなど、話し合ってきます。
春の日本ツアーも、楽しみにしていてください。ジャクソンさん、初来日!!!! とても楽しみです。
皆さん、こんにちは。
ふぅ~っと、息をつくヒマもないほど密度の濃い毎日。楽しく過ごしていました。
書きたいこと、伝えたいことがたくさんあるのに、書く時間がなくてごめんなさい。
そうこうしているあいだに、今週また日本に向かうのであります。 今回は、たった1週間の日本滞在なのですが。
何だかこうして行ったり来たりできることがありがたく楽しく嬉しいです。 世界はどんどん近くなっているような気がしますね。
しっかり書こうと思うとなかなか書けないままに時間ばかりたってしまうので、断片的にでもいいのでとにかく近況報告を。

★ジュンバ・ラ・ワトトとマゴソスクールの8年生、受験、&卒業!
2009年度は、合計21名の受験生でした。
みんなとてもがんばりました。 イキイキとして卒業しました。
卒業生たちは、すぐにマゴソOBOGクラブに入り、なんだか急に大人っぽくなったような、初々しいような。
とってもキラキラしててまぶしいですよ。
やっぱり、小学生たちにとって、マゴソOBOGクラブの先輩たちの姿は、憧れであり、早く自分もあそこに入りたいなぁ!
と思っていたことでしょう。 そうやって新入りが入ってくると、先輩たちがまた頼もしくなること。
私たち大人にとっては、なんだか、今年も昨年もおととしも、5年前や10年前も、そんなに大きな違いがなかったりするもんですが、こういう子どもたちにとっては、1年というのはものすごく大きい。とても大きな変化があります。
受験結果は、私が船の中でアジアの海を漂っているころに出ます。
船の中ですぐに結果を見たいから、すぐにメール送ってもらうことになってます! とても楽しみ。
輝かしい未来に夢がいっぱいというかんじの、新鮮な卒業生たちです。
今年の卒業生は、マゴソと長い関わりの深い子が多いので、また感無量です。とても苦労した子も多いです。
11月最後の日曜日に、ジュンバ・ラ・ワトトで卒業式&近所の皆さんにありがとうの年末パーティを行い、
そして、おとついの日曜日、キベラのマゴソスクールで、年末クリスマスパーティを行いました。
たくさんのお客様が来てくださって、とてもにぎやかに盛り上がって、感謝!
そして、神戸先生も来てくださって、アメージンググレースを吹いてくださいました。すごく嬉しかった!
なんだか、とても激動的な1年だったなぁと実感。 いつの間にやら、子どもたちは合計500人近くなりました。
いろいろなことに挑戦して、走り続けた1年間というかんじでしたが、2010年はさらにもっと動きたいと思っています。
お世話になった皆さんに、心から感謝です。 2009年もささえてくださって、本当にありがとうございました。
2010年も、どうかよろしくお願いいたします!
★マゴソOBOGクラブ、すごい勢いで成長しています。
前学期末のミーティングのとき、女子から、様々な学校の問題について告白があり、話し合いの結果、転校できる学校を探すことになりました。 そして、無事、転校が決まりました。お世話になった皆さんに、本当に感謝です。
ピースジュニア学校の校長先生(故ピーターオルワさんのお姉さん)に助けていただかなければ、転校できる学校は決して見つからなかったと思います。 女子10名、1月から無事転校することができます。
ミーティングで、女子も男子もとても活発に発言して、自分たちの問題や学校生活の様子、悩み、今後の目標や夢などみんな大いに語りました。 彼らの話から、ケニアの普通の高校生活というのがどういうものかということがイキイキと伝わってきます。
なかなかタイヘンな要素がいろいろとあるのですが、みんなほんとによくがんばっているなぁと思います。
私はこれまで、ケニアというのは日本に比べて「いじめ」というものがずっと少ない国だと思っていたのですが、
やっぱり、人間生きているところどこでも「いじめ」というのはあるものなんですね。
ケニアは、明暗ほんとにあからさまな国で、裕福であればあるほどチャンスが高く、
貧しければ貧しいほどチャンスがない国です。 特に、子どもたちの世界でも、その格差というものは極端です。
マゴソOBOGクラブの男子たちがいっている学校は、けっこうレベルの高い男子校なのですが、やはりレベルが高い高校というのは、裕福な家庭の子が多い。ケニアの場合、貧しい子どもは優秀でもなかなか進学できるチャンスがない、だからやはり、高校に行くと、キベラ出身者というのはめずらしい。そして、「もと浮浪児」というと、さらにめずらしいわけです。
ナイロビには、「もと浮浪児」という生徒たちを優先して入学させてくれて支援をしてくれるとても優秀な学校があるんですが、
そういう学校は特殊です。
私たちのマゴソOBOGクラブが進学した高校は、ごく普通の州立高校ですので、「もと浮浪児」には会ったこともない生徒がほとんど。「キベラ」というのも、テレビのニュースで(もちろん怖いニュースで)しか知らない。
そして、州立高校は規模も大きく、人数も多い。男子たちは、びっちり50名くらい入った学級が1学年に5クラスや6クラスあり
そこでもまれるわけです。
マゴソスクールは、とても家族的な学校。
っていうか、学校じたいが家なわけで、そこで大事に育まれて、自分のいろいろな事情をわかってくれる先生たちが親身になって助けてくれて、学校の仲間たちも似たり寄ったりの事情でやってきているお友達。 そんな中で、ぬくぬくと、居心地よく育ってきたわけですね。 セカンダリースクールに進学すると、それまで想像もしていなかった試練が待っているわけです。
マゴソOBOGクラブはみんなでめきめき成長してきているけれども、それと同時に思春期の悩みも深くなっていきます。
夢に見てきた、セカンダリーへの進学、それが実現してとても嬉しい反面、精神的なつらさ、違和感や異物感と闘っている生徒たちもいます。
もと浮浪児だったということや、孤児だということ、貧しいということなどを、さげすまれて、心無いいじめにあったり、さげすみの視線を受けて針のむしろのような日々を過ごしていると告白した子もいます。
だから、成績がいい子も悪い子も、みんな同じひとつの学校に入るようにしたのですが、それがとてもよかった。
みんなで助け合って、励まし合っている。
でもそんな中で、みんなになじめず、そしてみんなの個人情報を何かとかげぐちをたたいて、何かといえば意地悪をしてしまう女の子がいます。 今回のミーティングでは、そのことを、涙ながらに訴えた子がいました。 みんな泣いて泣いて。
その子は、自分が孤児だからといって、なぜこのようにかげぐちを叩かれてさげすまれなければいけないのか、
でもどんなにさげすまれても、私はがんばりたい。と言いました。
何かといえば意地悪をしてしまう子も、実はマゴソスクールに小学校低学年からいた子です。
この子はたくさんの子どもたちを残して母親が失踪。父親は悪いことをして稼いでいる人です。
小学校高学年ごろから、性格が暗くなってきました。 そして、人に意地悪をしてしまいます。
でもあとで個人面談をしていたときに思いました。
意地悪をしてしまう子には、なぜ意地悪をしてしまうのかという理由があるんだと思います。
そして、いろいろ苦しいことがあるから、意地悪をしてしまうんだと思います。
そう思ったことを、双方に話したら、双方とも、なんだか落ち着いてきました。
意地悪したほうの子とも、個人面談をしてみると、「不安なんだ」と言いました。
自分の成績が悪いことに対しての不安だと。
それで、休みの間に、補習授業を用意するから、そこでがんばって成績を改善しようね。
と言ったら、すごく安心して、笑顔を見せていました。
私が思ったのは、本当は、不安なのは成績のことではないんじゃないかなっていうことです。
何が不安なのか、何がもやもやしているのか、説明ができない、だから、成績のことなんだ
と言ったんじゃないかと思います。
誰かに自分のほうを見てもらいたいという気持ち。 だから、ちゃんと見てもらえたら、安心します。 その繰り返し。
彼女の家の中には、平安や安らぎはありません。その状況を、私たちは長年の付き合いなので知っています。
お父さんは、人を騙したり脅したり悪いことをしてお金を儲けているのに、子どもたちには腹をすかせたままで放置。
そして、お父さんは嘘つきで、酒飲みです。
せめて優しいお母さんがいればと思うけれども、お母さんも子どもたちを置いて出て行ってしまいました。
あともうちょっとだ、と思います。
中学・高校生くらいって、もう子どもでもなく、かといって大人でもなく、つらいときですよね。
私は、彼らが、こういう自分の人生状況を、よく見つめて、よく向かい合って、受け止めて、乗り越えていく手伝いがしたいと思っています。
小学生くらいのときは、ひもじいときにごはんが食べれたら嬉しい、おうちの状況も(傷つくけれども)、なんだかよく把握できていない、状況に対して受け身であるしか仕方がないと思います。
だけど、そこから大人になっていくということは、良かれ悪しかれ、自分の状況や自分の人生を、知らなければならないし、向かい合わなければなりません。 それがなかなか、ストレスも多く、傷もざっくり深くなるというプロセスではないかと思います。
もと路上の浮浪児で、「僕は他には何もいらないから、学校に行きたい。」
といってマゴソスクールにやってきたトニーが、今年晴れてセカンダリーの1年生になったというのに、
そしてしかも、進学してからすぐに、食堂主任という要職?に抜擢されたくらい、学校でも幅をきかせて
がんばっていたはずなのに、3学期の終わりに、最後の最後に学校を飛び出してきてしまいました。
そして私に、「学校を辞めたい。」と言います。
先生たちは、怒ったり、なだめすかしたりしながら、なんとかトニーからことの真相を聞きだそうとするのですが、がんとして理由を語らず、がんこに、学校に戻りたくないと言う。
やはり貧しい出身者の先生ばかりなので、頭にきて興奮して怒る先生もいました。親身になって優しく相談に乗ろうとする先生もいました。 でも、トニーが、がんこ、がんこ。 辞めるといって、ききません。
そんな、支援を受けられる幸運に恵まれていながら、そんなことが許されると思っているのか!と怒る先生もいました。 確かに、支援してくださっている皆さんに、いったいどんなふうに説明すればいいのかと、私も悩みました。
だけど、トニーがここまでガンコに、かたくなな行動になっていることには、理由があるはずだと思いました。
本人には説明できないかもしれないけれども。
あの手この手で聞き出していったわけですが、まったく要領をえない、ああいったりこういったりする、
そんな状態だったのですが、 いくつか、核心をついているようなことも話していた。
まず、成績的に、落第点をとったせいで、学校側から補習を受けて追試を受けるように言われたわけなのですが、
そこから逃げ出してきてしまったのです。
でもどうやら、それは、ただたんに、補習や追試がいやで逃げてきたというわけではなさそうでした。
体調の不調を訴えたりもしました。だけどそれもどうやら、ほんとに病気なわけではなさそうです。
胸の奥深く、肺の奥が痛くて、息ができないほどになるときがあるというのでした。
でもそれに対して、マゴソの若い先生たちが、
「なに言ってるんだ! 胸の奥が痛いといいながら、オマエは大きな声でいつも歌を歌って長い時間歌い続けて祈っているではないか!」という。
でも、そうじゃないんだ、ほんとに痛いんだ。と言って、どうも、どこにもたどりつかないような話になってきた。
でもまずは、それならほんとに病気かどうか、胸のレントゲンをとってみようね。お医者さんにも行こうね。と言ったら、とりあえず安心したような顔を見せました。 (今週、病院に通っています。やっぱり、何も問題なさそうなんですが。)
そしてさらに、個人面談のとき、私と匡哉と話をしたいと彼が希望をしてきた。 そこで言うには、
「なんだか自分がコントロールできない。 勉強していても、ふっと、どうしても歌が歌いたくなり、
その衝動をおさえられない。 だから、勉強に集中できない。」 と。
でも、いろいろ聞いて総合してみると、どうやら彼は学校で、2学期ころに自分の過去の事情を知られて、それから周りの仲間たちや先生たちの態度ががらりと変わったと感じているようであった。
蔑んだ目で見られている。口をきかなくなった。
冷たくなった。 と、彼は感じているようでした。 そして、巨大な学校の中で、ストレスを感じると。
そして、自分は音楽の道をいきたいと、そこは確信を持っているので、このまま音楽の道を歩みたい。と彼は言う。
うーん。困った。と正直思ったのですが、 でも、やっぱり、とても強く思ったことは、
音楽が好きなのはわかる。だけど、音楽を逃げ場にしてはいけない。 ということでした。
それと、ここで逃げたら、彼は一生、逃げ続けてしまうかもしれないと思いました。
きっと、今まで経験したことのない試練で、とても混乱したことでしょう。
路上の生活をしながら、祈り続けて信じ続けてきた子です。
食べ物も、屋根もなく、そんな路上で生き抜いてきた、
そのときの苦労とは、また違う種類の苦労を、この高校生活の中で経験しているのだろうと思いました。
逃げてはいけない。と思うのだけれども、でも、逃げないで踏ん張り続けろ。と言うことにも、正直、胸が痛みました。
でもやはり、自分の人生だと思うんです。
自分が路上の浮浪児だったということ、自分がどんな人生を持って生まれて育ってきたかということ、それは、自分がどれほど望まざる状況だったとしても、その事実を変えることはできません。
その事実を受け止めて、そういう自分だからこその人生を生きて、その上で、そんな経験があったから今があると思える人生を生きるのがいいと思うんです。
でもそれは、10代の、まだ大人になりきっていない子にとって、なかなか酷な話ですよね。
何しろ、説得したりいろいろな話をしたり。
そんなふうにして最終的に、しぶしぶながらも、トニーは、1月に学校に戻ることをうなずきました。
一緒に学校に行って一緒に謝って話をしてくれると、ダン先生(マゴソ校長)がとくとくと、ほんとに愛情深く話をしてくれました。
そんな人たちがいて、実際、トニーは幸せだと思います。
なんだかどうしようもないようなモヤモヤを抱えて、つらいだろうけれども、なんとかがんばってもらいたいものだと思います。
そして、最近のトニーは、なんだかほんとに支離滅裂、言っていることも支離滅裂で、いったいどうしちゃったんだろう?というかんじなのですが、整理がついてくることを信じて、見守っていきたいと思います。
★学校が休みに入り、マゴソTV!の撮影を再開しました。
今回、ほんとに素晴らしかったと思ったのは、トニーの1学年上のオビリ(やはり路上の浮浪児だった)が、自分のことをレポートしたいと言い、オビリの路上生活時代のこと、どんなふうに浮浪児をしていたか、家族の事情、生活の事情など、すべて追って撮影していくことをしました。
そして彼が語りました。たくさんのこと。 彼自身のナレーションで、このことを伝えていくスタイルにすることにしました。
何度も何度も話し合い、何度も何度も書き直し、どうしたらより伝えることができるのか、伝えたいことの核心は何なのか、
真剣に、作っていきました。
最後の最後で、奥にあるものを搾り出せたのではないか?という手ごたえを感じましたが、これは、これから匡哉が編集していってくれる中で見ていかないと、どのくらい引き出せているか、まだ確信はありません。
でも、この取り組みができたことで、何か、また新しい領域に、一歩を踏み出せたような気がしています。
産みの苦しみは、やはりほんと、なかなかタイヘンで苦しいのですが、みんなほんとに真剣に取り組んでいて、そして、そうやって取り組んでいく中で、ありありと成長が見えます。
★女子のアギーも、自分のことを語るレポーティングがしたいと希望し、彼女のキベラの暮らしの様子を詳細に渡って追っていきました。
話の詳細の中から、あまりにも貧しい、これほどまでにどん底に貧しい、そんな暮らしのディテールが浮き彫りにされましたが、ときどき絶句しながらそんな話を聞いたり、詳細を撮影したりしていましたが、そんな中で、彼女が、「でも私は、この暮らしを、誇りに思っています」と言いました。
「ここで私はこうして、家族と共に暮らすことができる。
この世の中には、家族と共に暮らせない人もたくさんいる中で、私は家族と共に暮らすことができる。
それに感謝し、そして誇りに思っている。」と彼女は言いました。
★それにしても、なぜこんなことがこの世の中には起こるんだ?と思うようなことが、次から次に、起こります。目の前で。
人間とはいったいなんなんだ? 生きるということはいったいなんなんだ? ということ。これは究極の問いです。
でもそれでもこうして、ひたすら生きている人々の姿。
生きるということは、なんて尊いことなのだろうかと、強く思います。
でもやはり、変えていきたい。
不幸な状況は、改善していきたいです。
★今年のクリスマスパーティも、
子どもたちみんな、歌い踊り、太陽の下で、本当に輝いていました。
私も、一生懸命、生きていきたいなと思うわけです。
絶望ではなく希望を、あきらめではなく勇気を、
不安は捨てて安心感を持って、
信じて、かならず大丈夫だと信じて、
これからもがんばっていきたいです。
他の近況報告も書きたかったのですが、マゴソOBOGクラブの話で終わってしまいました。また書きますね。
あと数日で出発なので、バタバタと準備をしています。果たして間に合うかっ!?
今日、マサイのジャクソンさんがナイロビ入り。
明日、マサイ牛貯金プロジェクトの年末ミーティングや、家族会議、
「マサイのいま~伝統と変化のはざまで」ドキュメンタリー映画の今後のスケジュールなど、話し合ってきます。
春の日本ツアーも、楽しみにしていてください。ジャクソンさん、初来日!!!! とても楽しみです。
Posted by アマム at 23:49│Comments(0)
│マゴソスクール