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2012年04月26日
精霊を呼ぶ太鼓の村編②
長老が沖縄へ来たときに斎場御嶽に連れて行ったら、村の聖地の山にそっくりだというのでそこに行きたいと思っていた。
昔、英軍が攻めてきた時精霊のお告げで皆が隠れた山。英軍はその山で迷って餓死し、ドゥルマ民族を守った聖地だ。
ケニアに着いたときにその山からウランが発見されたと早川千晶さんに聞いて、ちょっと不安に思っていた。
マテラ長老が下見に行ったら、どうやらそこの村の若者が、山の長老から儀式で使う牛の内臓?を盗んで怒っていると。
だからその内蔵をもどさないと力が戻らないのだ。内蔵?もしかしてウランの事かな?聖地にはよくウランが存在してる。
なんだかあんまり良い気がしないなーと思ってたら、他のもっとパワーのある聖地kayaに連れて行ってくれることになった。
マングローブの川を船で上ること40分、ある村についたが、待ち合わせの人がいないので長老は対岸に渡り探しに。。。
待てど暮らせど長老は帰って来ない。船で40分くらい待ったとき、太っちょのおじさんが来て、勝手に船に乗り込んで、
「俺はそのkayaを知ってる!TWENDE(行くぞ)!TWENDE!」と叫んで、その勢いに押されて船は出てしまう。。。
え!ちょっとー長老は~??どうすんの~?と言っても無視され船は進み。。。着いても当然長老はいなかった。。(笑)
匡哉は怒っておじさんに長老を探しに歩いて戻らせ、ひたすら待つ。船で戻った方がいいのかな~とか考えても
周りのケニア人は何もせずにひたすら待っている。。。長老が来るのを祈るばかり。しかしここは美しいところだった。
アフリカタイムひたすら待つこと2時間、なんと長老は遠くにおじさんが見えて2時間歩いてやってきた。恐るべし。。。
kayaは狭い洞窟の中で写真には撮れなかった。お願い事をするたびに上の岩でガタガタ誰かが歩く音がする。何?
「ここの主だ。」と長老。匡哉は地鳴りだったと言うし、奥さんは何も聞こえなかったというし、とにかく凄いとこだった。
ここは何でも願い事が叶うところだというので、 「この村がいつまでも守られますように」 と神様に祈りました。
帰りの夕日がきれいだった。あせって解決しようとせず、どうにかなると信じてひたすら待っている。
そして本当にやってくる。そんなアフリカ人の生き方に目からウロコだった。。。
翌日長老の村にバイクで向かっていると、道の途中に長老が立っていて(神出鬼没!)こっちに来なさいと、
お茶を飲ませてくれた。昨日もらった薬草をスチームするといいと言って、連れてきてくれたのがここだ!!
直径3m以上あるバオバブの大木が倒れたところにまた上に向かってバオバブが立っている凄いとこだー!
その裏に、よその国からも治療に来るといわれる伝統治療師さんがいた!口は少ないが仕事ができるという名前の(笑)
薬草を燃やして煙を頭にそれがまたすごく良い香りで気持ち良く、浅草の浅草寺みたいに煙をあちこちにかけまくった。
長老は近道だと谷を越え歩いて村に帰るといい、私らはバイクで20分かけて家に行ったら、もうご飯食べてた(@0@;)
マタンガ(慰霊祭)があるというので長老に連れて行ってもらった。2席しか空いてないマタトゥに無理やり5人乗って(汗)、
それからバイクに3ケツで必死にしがみついてサバンナを30分でやっとたどり着いた。木陰に村のみんなが集まっていて、
そこで山羊をつぶして食べていた。美味しかった。そしてなんだかはじまりの合図もなくいつの間にか始まった。。。
村で見たときとは違う空気が漂っていた。センゲーニャが大好きだったというおばあちゃんの慰霊祭。
みんなの気合の入り方が半端なかった。祭りになるととたんにみんなカッコ良い!生き生きしている。
右のおじさんはうだつがあがらない感じだったのに、衣装つけて踊りはじめるとシャキっとしてまるで別人!
私がカッコいいな~と思ったおじさんは、匡哉に聞くと「普段は飲んだくれだよ~」と聞いて、ガーン(笑)
ムゼートーシャは鳥のように華やかだった!
この日の太鼓も凄かった!!匡哉もすごく楽しそう。地元の人が何で日本人が叩けるんだ?!
と間近でガン見していたのが笑えた。長老の太鼓はやっぱ全然違うと感動していた匡哉。
みんながすごく気持ちよさそうに踊っていて、見上げると澄みわたった素晴らしい空。きっと空からおばあちゃんはとっても
喜んでたのだろう。夢にまで見たセンゲーニャ、本物が見れて感動で涙出そうでした。詳しくは匡哉のレポートがあります。
匡哉が今まで見た中でも3本の指に入るくらい凄かったそう。http://maisha-raha.com/?p=2130
風の音が聞こえる静かで平和な村を名残惜しく後にしました。本当に天国みたいな村でした。
村の対岸はモンバサ。ここに大きな港を作り、レアメタルやスーダンの石油を運ぶために、
この村に高速道路が通る計画がありこの秋着工予定。日本のODA資金が出ています。
この平和な村がいつまでもここに残りますように。。。と祈る気持ちで後にしました。
長老の村のすぐそばに高速道路ができて、こんな状態です。砂ぼこりと排気ガスで息ができないほど。
高度経済成長期。たった5年まえまで、あの電気の無い村と同じようにのどかなところだったそうです。
出稼ぎの移住者が増えてスラム化し、治安が悪くなっています。あまりにひどい状況に悲しくてとてもショックでした。
港のコンテナヤードが立ち並ぶ。長老の村もいつ立ち退きになるかもわかりません。そして何の補償もありません。
遠い国の出来ごとではありません。この道路や港はレアメタルや石油のために日本や中国、アメリカが出資してます。
そしてアフリカは借金漬けに。。。
このような状況にとてもショックを受けたと話すと、長老は笑顔で
「大丈夫だ。周りは変わってしまってもドゥルマの魂は死なない。ドゥルマの魂は強い!」
素晴らしくポジティブで感動。ちょっとのことくらいで悲観してはいけないと思いました。
NAPENDA DRUMA!
なんとマテラ長老が7月末に沖縄へやってきます!キジムナーフェスタに呼んでもらえました!!
多分体力的にも日本へ来るのは最後だと思います。
マテラ長老の素晴らしい精霊を呼ぶ太鼓、聞きにきてください!!
昔、英軍が攻めてきた時精霊のお告げで皆が隠れた山。英軍はその山で迷って餓死し、ドゥルマ民族を守った聖地だ。
ケニアに着いたときにその山からウランが発見されたと早川千晶さんに聞いて、ちょっと不安に思っていた。
マテラ長老が下見に行ったら、どうやらそこの村の若者が、山の長老から儀式で使う牛の内臓?を盗んで怒っていると。
だからその内蔵をもどさないと力が戻らないのだ。内蔵?もしかしてウランの事かな?聖地にはよくウランが存在してる。
なんだかあんまり良い気がしないなーと思ってたら、他のもっとパワーのある聖地kayaに連れて行ってくれることになった。
マングローブの川を船で上ること40分、ある村についたが、待ち合わせの人がいないので長老は対岸に渡り探しに。。。
待てど暮らせど長老は帰って来ない。船で40分くらい待ったとき、太っちょのおじさんが来て、勝手に船に乗り込んで、
「俺はそのkayaを知ってる!TWENDE(行くぞ)!TWENDE!」と叫んで、その勢いに押されて船は出てしまう。。。
え!ちょっとー長老は~??どうすんの~?と言っても無視され船は進み。。。着いても当然長老はいなかった。。(笑)
匡哉は怒っておじさんに長老を探しに歩いて戻らせ、ひたすら待つ。船で戻った方がいいのかな~とか考えても
周りのケニア人は何もせずにひたすら待っている。。。長老が来るのを祈るばかり。しかしここは美しいところだった。
アフリカタイムひたすら待つこと2時間、なんと長老は遠くにおじさんが見えて2時間歩いてやってきた。恐るべし。。。
kayaは狭い洞窟の中で写真には撮れなかった。お願い事をするたびに上の岩でガタガタ誰かが歩く音がする。何?
「ここの主だ。」と長老。匡哉は地鳴りだったと言うし、奥さんは何も聞こえなかったというし、とにかく凄いとこだった。
ここは何でも願い事が叶うところだというので、 「この村がいつまでも守られますように」 と神様に祈りました。
帰りの夕日がきれいだった。あせって解決しようとせず、どうにかなると信じてひたすら待っている。
そして本当にやってくる。そんなアフリカ人の生き方に目からウロコだった。。。
翌日長老の村にバイクで向かっていると、道の途中に長老が立っていて(神出鬼没!)こっちに来なさいと、
お茶を飲ませてくれた。昨日もらった薬草をスチームするといいと言って、連れてきてくれたのがここだ!!
直径3m以上あるバオバブの大木が倒れたところにまた上に向かってバオバブが立っている凄いとこだー!
その裏に、よその国からも治療に来るといわれる伝統治療師さんがいた!口は少ないが仕事ができるという名前の(笑)
薬草を燃やして煙を頭にそれがまたすごく良い香りで気持ち良く、浅草の浅草寺みたいに煙をあちこちにかけまくった。
長老は近道だと谷を越え歩いて村に帰るといい、私らはバイクで20分かけて家に行ったら、もうご飯食べてた(@0@;)
マタンガ(慰霊祭)があるというので長老に連れて行ってもらった。2席しか空いてないマタトゥに無理やり5人乗って(汗)、
それからバイクに3ケツで必死にしがみついてサバンナを30分でやっとたどり着いた。木陰に村のみんなが集まっていて、
そこで山羊をつぶして食べていた。美味しかった。そしてなんだかはじまりの合図もなくいつの間にか始まった。。。
村で見たときとは違う空気が漂っていた。センゲーニャが大好きだったというおばあちゃんの慰霊祭。
みんなの気合の入り方が半端なかった。祭りになるととたんにみんなカッコ良い!生き生きしている。
右のおじさんはうだつがあがらない感じだったのに、衣装つけて踊りはじめるとシャキっとしてまるで別人!
私がカッコいいな~と思ったおじさんは、匡哉に聞くと「普段は飲んだくれだよ~」と聞いて、ガーン(笑)
ムゼートーシャは鳥のように華やかだった!
この日の太鼓も凄かった!!匡哉もすごく楽しそう。地元の人が何で日本人が叩けるんだ?!
と間近でガン見していたのが笑えた。長老の太鼓はやっぱ全然違うと感動していた匡哉。
みんながすごく気持ちよさそうに踊っていて、見上げると澄みわたった素晴らしい空。きっと空からおばあちゃんはとっても
喜んでたのだろう。夢にまで見たセンゲーニャ、本物が見れて感動で涙出そうでした。詳しくは匡哉のレポートがあります。
匡哉が今まで見た中でも3本の指に入るくらい凄かったそう。http://maisha-raha.com/?p=2130
風の音が聞こえる静かで平和な村を名残惜しく後にしました。本当に天国みたいな村でした。
村の対岸はモンバサ。ここに大きな港を作り、レアメタルやスーダンの石油を運ぶために、
この村に高速道路が通る計画がありこの秋着工予定。日本のODA資金が出ています。
この平和な村がいつまでもここに残りますように。。。と祈る気持ちで後にしました。
長老の村のすぐそばに高速道路ができて、こんな状態です。砂ぼこりと排気ガスで息ができないほど。
高度経済成長期。たった5年まえまで、あの電気の無い村と同じようにのどかなところだったそうです。
出稼ぎの移住者が増えてスラム化し、治安が悪くなっています。あまりにひどい状況に悲しくてとてもショックでした。
港のコンテナヤードが立ち並ぶ。長老の村もいつ立ち退きになるかもわかりません。そして何の補償もありません。
遠い国の出来ごとではありません。この道路や港はレアメタルや石油のために日本や中国、アメリカが出資してます。
そしてアフリカは借金漬けに。。。
このような状況にとてもショックを受けたと話すと、長老は笑顔で
「大丈夫だ。周りは変わってしまってもドゥルマの魂は死なない。ドゥルマの魂は強い!」
素晴らしくポジティブで感動。ちょっとのことくらいで悲観してはいけないと思いました。
NAPENDA DRUMA!
なんとマテラ長老が7月末に沖縄へやってきます!キジムナーフェスタに呼んでもらえました!!
多分体力的にも日本へ来るのは最後だと思います。
マテラ長老の素晴らしい精霊を呼ぶ太鼓、聞きにきてください!!
Posted by アマム at 22:28│Comments(0)
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