› アフリカの風~沖縄 › 2012ケニア旅日記
マゴソスクールを支える会ホームページhttp://magoso.jp
マゴソTV(マゴソスクール映像) https://www.youtube.com/watch?v=Li-3eeJUDOc&index=1&list=PLC4821796126BE39E/
1食10円でごはんが食べられます。↑マゴソスクール支援の募金お願いしま~す。
募金先はhttp://africaze.ti-da.net/c136261.html
2012年05月29日
ケニアで活躍する日本人
ティカでストリートチルドレンの保護施設を運営しているMOYOチルドレンセンターの松下照美さんを訪ねた。
映画「チョコラ」は照美さんが関わっている子供たち。ここはストリートチルドレンが気軽に集まれる場所。。
子供たちに新聞紙でカブトを教えました。左にいるのが照美さん。元々陶芸家で、旦那さんの遺骨を持ってモンゴルから
ウガンダへ、そこでストリートチルドレンに出逢い、50歳すぎてこの活動をすることになり、今はケニアに拠点を移している。
ここで演奏してみんなで踊りました。ストリートの子たちはひもじさを忘れるためにシンナーをやって、犯罪に手を
染める子たちも多い。そんな子供たちを地域ぐるみで地道に保護しシンナーをやめさせ、学校に通わせる照美さん。
ここは保護された子供たちの施設。高校まで行けた子が2人います。ここは男の子だけの施設です。とても奇麗で立派な
ところでした。子供たちが歌と踊りを聞かせてくれたので、私たちも演奏しました。去年強盗に入られ子供たちも襲われ
大変だったそうですが、照美さんは負けずに頑張っています。強い。夜も飲みながら色んなお話聞かせていただきました。
モヨチルドレンセンター http://moyo.jp/mcc.htm映画「チョコラ」は照美さんが関わっている子供たち。ここはストリートチルドレンが気軽に集まれる場所。。
子供たちに新聞紙でカブトを教えました。左にいるのが照美さん。元々陶芸家で、旦那さんの遺骨を持ってモンゴルから
ウガンダへ、そこでストリートチルドレンに出逢い、50歳すぎてこの活動をすることになり、今はケニアに拠点を移している。
ここで演奏してみんなで踊りました。ストリートの子たちはひもじさを忘れるためにシンナーをやって、犯罪に手を
染める子たちも多い。そんな子供たちを地域ぐるみで地道に保護しシンナーをやめさせ、学校に通わせる照美さん。
ここは保護された子供たちの施設。高校まで行けた子が2人います。ここは男の子だけの施設です。とても奇麗で立派な
ところでした。子供たちが歌と踊りを聞かせてくれたので、私たちも演奏しました。去年強盗に入られ子供たちも襲われ
大変だったそうですが、照美さんは負けずに頑張っています。強い。夜も飲みながら色んなお話聞かせていただきました。
同じティカにあるアマニ・ヤ・アフリカへ。長年マゴソスクールを支えた石原お母さんが主宰しています。
障害者の職業訓練をやっています。失業率の高いケニアで障害者が生きて行くのはとても大変です。
足に障害があるマイナさん。器用にバナナ葉でシマウマ作ってます。色んな人に騙されたりして絶望していたときに照美さんが障害者の支援をしていると聞く。訪ねたら、石原お母さんがいてその場で注文してくれて.それから僕の人生は開けました。日本の皆さんには本当に感謝しています。と、マイナさんもスラムでお店をやってた時期もあったそうで、お互い物作りや商品を売る秘訣など楽しい話ができました。
ケニアのシーサーをゲット!
マイナさんのバナナ葉のライオン素晴らしい。たてがみが薄かったので増やしてと頼んだら4倍のモリモリにしてくれました。
マイナさんが生き生き物づくりをしている姿を見て、物作りで食べれるって幸せなことなんだな~と改めて思いました。
マイナさんの作った動物やバオバブは工房アマムで売ってます!
ここでも演奏しました。石原さんの息子夫婦はケニア在住で活動しています。お母さんは仙台で活動していますが、震災で被災されました。アマニでは仙台に野菜を運ぶボランティアもやっていました。今は被災地とアフリカをつなぐ支援もしています。
アマニ・ヤ・アフリカhttp://www.amani-ya.com/
次はキテンゲラにある「サイディア・フラハ」を訪ねました。荒川勝巳さんがやっているスラムの保育所と、女の子を中心
とした児童養護施設、職業訓練校です。荒川さんのお人柄のようなお花がいっぱいの癒される素敵なところでした。
洋裁の職業訓練。足踏みミシンです。溶接の職業訓練。ケニアでは高校が少ないため受験戦争が激しく、なんと幼稚園から小学生にあがるための勉強をしている。そんな教育のせいなのかみんな高校に行きたがるそうです。最近は受験に失敗した中流家庭の子供の自殺もあったとか。。。スラムで食べるのに必死な子たちには自殺はない、人間って不思議だ。。。
。
幼稚園の子供たち。荒川さんは1985年にエチオピアの飢餓の写真に心動かされ、ケニア人2人とここをはじめました。元々彫刻家だったらしいです。石を3年かけて彫る芸術家、アート系の人がなんだか多い。子供たちと寝食を共にし、栄養失調で運ばれたこともあるとか。無欲で本当に優しい仏さまみたいな人でした。生き馬の目を抜くケニア社会で淡々とやっている姿に感動しました。一見頼りなげに見える荒川さんのどこにこんなパワーがあるのだろう。
これはフェアトレードの新製品キコイのかわいいハンドタオル。工房アマムでも取り扱う予定にしています。ケニア在住の
日本人がデザインしているそうです。ここの元気なママたちが荒川さんを支えています。すんごい明るくてパワフル!!
歌って踊りながらご飯作ってくれました。荒川さんの人柄に自然とこういう人たちが集まってくるんだろうな~。
みんなと給食いただきました。美味しかったです。子供たちもいただきま~す!
お昼を食べ終わったら子供たちが歌と踊りを披露してくれました。歌と踊りがさすがにうまかったです。
急きょ、浴衣のファッションショーになり、私たちも演奏していっしょに踊りました。最後はこのママが盛り上げて、みんなで歌って踊って大盛り上がり!きっと様々な苦労してきた人なんでしょうが、そこを抜けた強さと明るさがみんなを幸せにします。
最後にみんなで記念撮影。荒川さんありがとうございました。サイディアフラハ、みんな明るくて楽しくて良い場所でした。
サイディアフラハhttp://www.geocities.jp/hiroki_site/saidia/
ナイロビのニューライフホームを訪問。生後間もない捨てられた赤ちゃんの施設。ここはキリスト教のイギリス人夫婦がはじめた。ここで養子縁組をしてたくさんの赤ちゃんが引き取られます。立派な施設だった。部屋も絵が描いてあったりかわいくて明るい。たくさんのボランティアの子たちが来ていました。引き取られなかった子供たちはみんなが家族になって暮らしているグループホームに移ります。ここに出会えた子供たちは幸せだと思いました。少しだけボランティアして帰りました。
3.11はケニアの日本大使館公邸で、震災の寄附をしてくれたケニア財界や日本人のお礼のパーティーに招かれました。
ケニアの上流階級をかいま見ました。ケニアの日本大使は励ましてくれたお礼にとマゴソスクールにも来てくれました。
ここではスラムの医療支援をしているチャイルドドクターの宮田さんに会い、ミトゥンバスラムの撤去の話を聞きました。
http://www.child-doctor.org/?gclid=CJas_pjJpbACFVGZpAodLj2OWA
また長年ケニアで獣医師をやりながらボランティアで家畜の診療している神戸先生にもお会いしました。
http://yousuke01.iza.ne.jp/blog/entry/451447/
家に遊びに行ったらケニアでライブした林賢さんにもらったというカンカラ三線があり、民謡喜んで聞いてくれました。
神戸俊平友の会http://www.s-kambevet.org/jp/jp%20index/jp%20index.htm
日本人学校の校長先生にもお会いしたらなんとウチナンチュで、友人の友人だった。世界は狭い!
先生方はナイロビ市街を歩いてはいけないそうだ。沖縄好きの大使館の人たちと沖縄話で盛り上がりました。
たくさんの日本人がケニアで地道に活動しています。みんなギリギリの資金の中でやっていて頭が下がりました。
彼らのおかげで、ケニア人の日本人に対する印象はとても良くなっていると思います。ただ物資を送るとかではなく、
現地で共に生活し、現地のニーズに答え、そして将来を見据える、本当の国際貢献とは地道な積み重ねだと実感した。
おまけ
帰りはドーハからなぜか突然ビジネスクラスにアップグレードされました!砂漠の街ドーハに突如現る摩天楼すごかった。
隣は多分同世代の日本の商社マンが慣れた感じでシャンパン片手にパソコンしてる。あまりに違う世界でドキドキ。。。
私って場違い?!
シャンパンやワインは飲み放題。食事は色んなコースから選べて、お皿ナイフとフォークがセットされる。前にテレビ画面があり、リモコンでゲームや映画、TV番組など凄いチャンネル数だ。シートは頭、背中、腿、ふくらはぎとそれぞれ微調整ができ、ベッドにもなって快適。 10時間のフライトが2時間くらいにしか感じなかった。お金持ちの世界はすごいなー。
スラムから一気に金持ちの世界を体験してもうわけわからん状態でしたが、世界は本当に色んな世界
があるのだと身をもって体験しました。搾取するのではなく、みんなで分かち合う世界になりますように。。。
2012年05月17日
マサイマラ自然公園編
翌朝は夜明け前に起きてサファリへ。マサイマラの日の出。大地は霧に包まれとても神秘的。すごく寒かった。
朝日に照らされるトピ。もののけ姫に出てきそう。けっこうデカイ。霧の中からクロサイの親子が。
なんと広大なマサイマラでたった4頭しかいないそうだ。本当にラッキー。厳かな雰囲気でした。
日本のサファリパークのようにたくさん動物いないので、ひたすら大地を進む。遠くで動く影をみたので行って
みるとなんとライオンの親子が!カレンダーみたいに並んでかわいい。と、道をふさぐオスライオン。でかい。
こちらに気づき、恐ろしい顔でガオーッと吠え、その迫力に圧倒される。原始時代の恐怖がよみがえってきた。
これを襲うマサイってすごい勇気だ。ライオンが野生で生きてる大地。残っているのが奇跡だ。
3匹のシマウマがじっとこっちを覗きこんでかわいい。ずっとこのままストップモーション状態。
私たちを警戒していた。キリンは雲の上を歩くみたいな動作ゆっくりで不思議な生き物だった。
見れば見るほど不思議な生き物キリン。ほとんど動かずぼーっとしている。
やたらでかい。この大地でこの形は目立つし不思議すぎる。なぜに?
人を丸飲みするほどのデカイワニ。こんな川で泳ぎたくない(泣)口ずっと開けてるし、こわすぎ。。。
ファンキーなとかげ。ケニアから送ってもらったビーズ動物のトカゲにこの色で作ってるのがあって、
ケニア人って不思議なセンスしてるよねって思ったら本物だった。キリンの頭がい骨の上にいます。
象が正面から耳をあおぎながら突進してきてすごい迫力。しばらくバックしたが追いかけてきた!
途中で曲がってってほっとした。象は普段は優しいが身の危険を感じると人間を踏み倒すらしい。
しかしテレパシーで遠くで会話をしたり、感情も豊かな象。陸のイルカのようなイメージがした。
ライオンの親子。目の前で見た。感動。子供のころからライオン好きで、獅子座で、シーサー作ってるので、
本物のライオンが見れて感無量!シーサーはここから来たんだな。百獣の王って言うだけある迫力に感動!
マサイマラの周辺はエコロッジなど環境に配慮したロッジしか建てられない。混沌としたケニア社会でどうしてこんな
マサイマラが残ったのか不思議で質問してみた。かつて白人がこの大地を征服しようとやって来たが、マサイの強い
抵抗にあい、あきらめてここから先はマサイの土地という協定を結んだ。このナロック県はほとんどマサイなのでこの
大地を県立の自然公園として残したそうだ。白人に勝ったとは他の先住民族とは違う。ライオンに勝つくらいだからな。
だから先住民なのに広い土地を所有できている。だが中には土地を持てないマサイもいる。また騙されて土地を売って
しまい、農耕民族が入ってきて、牧畜は柵などないからトラブルにもなっている。農耕民族の人口が増えてきているので
最近はマサイの政権が危うくなってきている。高速道路の計画もあるので、ここもいづれは変わってゆくのだろうか。
この大地はマサイによって守られた。いつまでも守られますようにと祈りながら後にしました。動物たち元気でね~。
チャイをもってきてくれたママたち。お世話になりました。本当はマサイの人たちは見送りなんかしません。
余計な物を持たない民族のせいか執着や情もなくサッパリしていた。そんな感覚が新鮮で、健全な気がした。
本来人間はこのようにシンプルだったのだろう。余計なものが増えすぎて複雑になって、
本当の幸せから離れてしまった人類の行く末は。。。
インパラが走る村を後にする。原始の大地がかろうじて残るこの村がいつまでも守られますように。
精霊を呼ぶ太鼓の村とは全く対照的な人たちでした。ケニアは50以上の民族がいて、それぞれ独自の言語があり、
文化も全く違います。スラムや上流階級もあり、全く違う世界が同時に存在している。いったいどういうことだろう。。。
どこに焦点を当てるかで世界が変わる。次元が違うというのを3次元的に見た感じだった。
2012年05月15日
伝統マサイの村 キャンプ編
ナイロビでお世話になった永松真紀さんの旦那さんの昔ながらの生活をしているマサイの村で3泊の
キャンプへ。ナイロビから6時間。こどもたちかわいい!途中から舗装されてない悪路のガタガタ道へ。
前の日の雨で道がかなり悪く、トラックが落ちてる(汗)ガタガタ、スリップ道を揺られること3時間。
雨季にさしかかり、川はすごい水量。あと50cmで橋が水没な感じでスリリング。道も悪かった。
夕方やっと到着。真紀さんの旦那さんのジャクソンさんが迎えてくれました。
去年祝島で一緒だったの覚えててくれてて嬉しかった。やっぱり村で見るとカッコイイ。
真紀さんの家の前で焚き火をしていると牛たちが放牧から帰ってきた。なんと真紀さんの牛(額が♡型)が列から離れて
挨拶に来たのでびっくり!真紀さんが帰ってきたと思ったのかな~。放牧させて帰ってきた牛の乳を搾るのは女の仕事。
マサイは基本牛乳と血で生活している。最近はウガリも食べるようですが、野菜とかはあまり食べないそうだ。牧畜の民。
夜は雨降りそうで真紀さんの家の中でテントを張りました。昼は30℃くらいだが夜は10℃くらいに冷え込みます。
翌日ジャクソンさんのウォーキングサファリ。ジャクソンさんの村はこんな感じで広々していて意外に緑多くて驚いた。
ここは豊かで恵まれた土地なんだとか。普通にインパラやシマウマが飛び跳ねている。象もときどきやってくる事もある。
山の向こうはライオンが住む広大なマサイマラのサファリ。仕切りなど無いから象がやってきて、大変なんだとか。。。
食べられる実や薬草を教わる。これは歯磨きの木。枝をかみつぶして磨く。苦味がある木だった。こうやって
何でも現地調達だから道具もいらないし、捨ててもゴミにならない。マサイの村はゴミが無くてとても奇麗だった。
マサイのママたち。ビーズが多いと美人なんだとか。マサイは一夫多妻性。でも嫉妬とかないそう。
なんかみんなサッパリしていてベタベタした情とか無い感じでした。一番右はジャクソンさんの第1
夫人のアンゴイちゃん。とても美味しい料理を作ってくれました。真紀さんはなんと第2夫人なのです。
牛フンで作った家の中庭でビーズ細工をするママたち。家を作るのは女の仕事だそうです。
牛フンの家はあたたかみがあって落ち着きます。全く臭くはないです。
マサイは牛と山羊の牧畜。野生動物は食べない。若い戦士時代はライオンを襲ったりする勇敢な部族。
ライオンもマサイが見えると逃げるらしい。弓矢にトライ。かなり固くて固定するのが大変。この先に木の根
からとった毒を塗り戦います。死ぬそうです。ひえ~。命を狙われる動物と共に暮らしているから、すごい。
お昼のために山羊を1頭つぶしてくれた。マサイは窒息死させるので、血や悲鳴が聞こえない。
ここは家畜を殺す神聖な場所。動物に対しても敬意をもって命をいただくというマサイの生き方。
どうやって肉ができるかもわからない現代人は命を粗末にしている気がする。肉も元は命なのだ。
葉っぱの上で解体。まず首の皮をはいでから首から血を取りだす。血はまぜて飲む。皮は毛皮にして服にしたり道具を作る。
沖縄は皮も食べるけど(笑)それから皮をきれいにはいで、肉を解体する。慣れた手つきで芸術のような美しい解体だった。
山羊さんありがとう。「いのちいただきます」と、自然に拝む気持ちになりました。
枝を切ってあばら肉を串刺しに。ワイルドなバーベQ。火も固さの違う木の棒をこすって起こします。あっという間に着火。
私もトライしましたが、何度やっても全くダメでした。こういう人たちが最後まで生き残るのだろう。どこでも生きれる強さ。
ワイルドバーベQできあがり。美味しそうな匂いがしてきました。ゴミはひとつも出ません。
焼きあがった肉を切り分けるジャクソンさん。千晶さんが見つめています(笑)これが旨いのなんのって。味付けいりません。
野生で育った山羊は違うね。私は沖縄の山羊汁が好きですが、汁にするより焼いた方が美味しいと思います。これは発見!
新鮮で全く臭みもありません。ほんとに美味しかった!塩がなくても美味しかった。マサイは普段は肉は食べません。
夜は火を囲んでジャクソンさんと。精霊とかいるんですか?「見たこと無いから知らない。だけど神様はいる。」
「死んだらどうなるんですか?」「死んだら終わり。」サッパリしている。農耕民族ドゥルマ民族の感じとは全然違う。
執着もなくて余計なものが無い実にシンプルな人たちだ。これからの宇宙時代は彼らが見本のような気がした。
満天の星空、虫や獣の鳴き声、広がる闇、トイレは大地、何も無いようで全てここにある。循環している素晴らしい世界。
その晩夢を見た。ケニアの色んな部族のママたちが集まって、私のために感謝の歌をそれぞれに歌ってくれたのだ(涙)
もう1本は、「全てが正しいのだ。なぜ自分の正しさを証明しようと生きるのだ。」と神様に諭されている夢だった。。。
人類発祥の地アフリカの大地で見る夢は違う。きっとこの大地には人類起源を思い出させてくれる何かがある。
彼らはこの牧畜の生き方が出来れば他に何もいらないし、幸せだと思っている。しかしここにもなんと開発の波が!!
この村でも高速道路が通る計画があり、将来牧畜ができなくなる危機が迫っている。村の皆で話し合い苦渋の選択で
子供たちの学校を作ることにした。牧畜で暮らせればそれで十分幸せだが、それでは暮らせなく日がいつか来る。
仕事をしないといけなくなるし、騙されないためにも教育を受けさせる。何とも言えない気持ちになった。。。
そこで永松真紀さん、早川さん、大西さんがマサイのCDを作って学校の運営資金に充てることにしました。
電気の無い村なのでソーラー発電で大西匡哉さんが苦心して録音した、MASAI 声のみのトランスの世界!!
工房アマムで「MASAI」(上段真ん中)のCD売ってます。売上の一部は学校の運営資金になります。
郵送も致しますので、「オーナーにメッセージを送る」に、お名前、住所、電話番号、欲しいCDを書いてメールください。
工房アマム CD販売詳しくはこちら http://amamu.ti-da.net/e2912625.html
試聴できます http://www.myspace.com/jiwenamaisha/music/songs/zandale-5712191
永松真紀さんのHP「マサイ村へようこそ!」 http://www.masailand.com/
2012年04月26日
精霊を呼ぶ太鼓の村編②
長老が沖縄へ来たときに斎場御嶽に連れて行ったら、村の聖地の山にそっくりだというのでそこに行きたいと思っていた。
昔、英軍が攻めてきた時精霊のお告げで皆が隠れた山。英軍はその山で迷って餓死し、ドゥルマ民族を守った聖地だ。
ケニアに着いたときにその山からウランが発見されたと早川千晶さんに聞いて、ちょっと不安に思っていた。
マテラ長老が下見に行ったら、どうやらそこの村の若者が、山の長老から儀式で使う牛の内臓?を盗んで怒っていると。
だからその内蔵をもどさないと力が戻らないのだ。内蔵?もしかしてウランの事かな?聖地にはよくウランが存在してる。
なんだかあんまり良い気がしないなーと思ってたら、他のもっとパワーのある聖地kayaに連れて行ってくれることになった。
マングローブの川を船で上ること40分、ある村についたが、待ち合わせの人がいないので長老は対岸に渡り探しに。。。
待てど暮らせど長老は帰って来ない。船で40分くらい待ったとき、太っちょのおじさんが来て、勝手に船に乗り込んで、
「俺はそのkayaを知ってる!TWENDE(行くぞ)!TWENDE!」と叫んで、その勢いに押されて船は出てしまう。。。
え!ちょっとー長老は~??どうすんの~?と言っても無視され船は進み。。。着いても当然長老はいなかった。。(笑)
匡哉は怒っておじさんに長老を探しに歩いて戻らせ、ひたすら待つ。船で戻った方がいいのかな~とか考えても
周りのケニア人は何もせずにひたすら待っている。。。長老が来るのを祈るばかり。しかしここは美しいところだった。
アフリカタイムひたすら待つこと2時間、なんと長老は遠くにおじさんが見えて2時間歩いてやってきた。恐るべし。。。
kayaは狭い洞窟の中で写真には撮れなかった。お願い事をするたびに上の岩でガタガタ誰かが歩く音がする。何?
「ここの主だ。」と長老。匡哉は地鳴りだったと言うし、奥さんは何も聞こえなかったというし、とにかく凄いとこだった。
ここは何でも願い事が叶うところだというので、 「この村がいつまでも守られますように」 と神様に祈りました。
帰りの夕日がきれいだった。あせって解決しようとせず、どうにかなると信じてひたすら待っている。
そして本当にやってくる。そんなアフリカ人の生き方に目からウロコだった。。。
翌日長老の村にバイクで向かっていると、道の途中に長老が立っていて(神出鬼没!)こっちに来なさいと、
お茶を飲ませてくれた。昨日もらった薬草をスチームするといいと言って、連れてきてくれたのがここだ!!
直径3m以上あるバオバブの大木が倒れたところにまた上に向かってバオバブが立っている凄いとこだー!
その裏に、よその国からも治療に来るといわれる伝統治療師さんがいた!口は少ないが仕事ができるという名前の(笑)
薬草を燃やして煙を頭にそれがまたすごく良い香りで気持ち良く、浅草の浅草寺みたいに煙をあちこちにかけまくった。
長老は近道だと谷を越え歩いて村に帰るといい、私らはバイクで20分かけて家に行ったら、もうご飯食べてた(@0@;)
マタンガ(慰霊祭)があるというので長老に連れて行ってもらった。2席しか空いてないマタトゥに無理やり5人乗って(汗)、
それからバイクに3ケツで必死にしがみついてサバンナを30分でやっとたどり着いた。木陰に村のみんなが集まっていて、
そこで山羊をつぶして食べていた。美味しかった。そしてなんだかはじまりの合図もなくいつの間にか始まった。。。
村で見たときとは違う空気が漂っていた。センゲーニャが大好きだったというおばあちゃんの慰霊祭。
みんなの気合の入り方が半端なかった。祭りになるととたんにみんなカッコ良い!生き生きしている。
右のおじさんはうだつがあがらない感じだったのに、衣装つけて踊りはじめるとシャキっとしてまるで別人!
私がカッコいいな~と思ったおじさんは、匡哉に聞くと「普段は飲んだくれだよ~」と聞いて、ガーン(笑)
ムゼートーシャは鳥のように華やかだった!
この日の太鼓も凄かった!!匡哉もすごく楽しそう。地元の人が何で日本人が叩けるんだ?!
と間近でガン見していたのが笑えた。長老の太鼓はやっぱ全然違うと感動していた匡哉。
みんながすごく気持ちよさそうに踊っていて、見上げると澄みわたった素晴らしい空。きっと空からおばあちゃんはとっても
喜んでたのだろう。夢にまで見たセンゲーニャ、本物が見れて感動で涙出そうでした。詳しくは匡哉のレポートがあります。
匡哉が今まで見た中でも3本の指に入るくらい凄かったそう。http://maisha-raha.com/?p=2130
風の音が聞こえる静かで平和な村を名残惜しく後にしました。本当に天国みたいな村でした。
村の対岸はモンバサ。ここに大きな港を作り、レアメタルやスーダンの石油を運ぶために、
この村に高速道路が通る計画がありこの秋着工予定。日本のODA資金が出ています。
この平和な村がいつまでもここに残りますように。。。と祈る気持ちで後にしました。
長老の村のすぐそばに高速道路ができて、こんな状態です。砂ぼこりと排気ガスで息ができないほど。
高度経済成長期。たった5年まえまで、あの電気の無い村と同じようにのどかなところだったそうです。
出稼ぎの移住者が増えてスラム化し、治安が悪くなっています。あまりにひどい状況に悲しくてとてもショックでした。
港のコンテナヤードが立ち並ぶ。長老の村もいつ立ち退きになるかもわかりません。そして何の補償もありません。
遠い国の出来ごとではありません。この道路や港はレアメタルや石油のために日本や中国、アメリカが出資してます。
そしてアフリカは借金漬けに。。。
このような状況にとてもショックを受けたと話すと、長老は笑顔で
「大丈夫だ。周りは変わってしまってもドゥルマの魂は死なない。ドゥルマの魂は強い!」
素晴らしくポジティブで感動。ちょっとのことくらいで悲観してはいけないと思いました。
NAPENDA DRUMA!
なんとマテラ長老が7月末に沖縄へやってきます!キジムナーフェスタに呼んでもらえました!!
多分体力的にも日本へ来るのは最後だと思います。
マテラ長老の素晴らしい精霊を呼ぶ太鼓、聞きにきてください!!
昔、英軍が攻めてきた時精霊のお告げで皆が隠れた山。英軍はその山で迷って餓死し、ドゥルマ民族を守った聖地だ。
ケニアに着いたときにその山からウランが発見されたと早川千晶さんに聞いて、ちょっと不安に思っていた。
マテラ長老が下見に行ったら、どうやらそこの村の若者が、山の長老から儀式で使う牛の内臓?を盗んで怒っていると。
だからその内蔵をもどさないと力が戻らないのだ。内蔵?もしかしてウランの事かな?聖地にはよくウランが存在してる。
なんだかあんまり良い気がしないなーと思ってたら、他のもっとパワーのある聖地kayaに連れて行ってくれることになった。
マングローブの川を船で上ること40分、ある村についたが、待ち合わせの人がいないので長老は対岸に渡り探しに。。。
待てど暮らせど長老は帰って来ない。船で40分くらい待ったとき、太っちょのおじさんが来て、勝手に船に乗り込んで、
「俺はそのkayaを知ってる!TWENDE(行くぞ)!TWENDE!」と叫んで、その勢いに押されて船は出てしまう。。。
え!ちょっとー長老は~??どうすんの~?と言っても無視され船は進み。。。着いても当然長老はいなかった。。(笑)
匡哉は怒っておじさんに長老を探しに歩いて戻らせ、ひたすら待つ。船で戻った方がいいのかな~とか考えても
周りのケニア人は何もせずにひたすら待っている。。。長老が来るのを祈るばかり。しかしここは美しいところだった。
アフリカタイムひたすら待つこと2時間、なんと長老は遠くにおじさんが見えて2時間歩いてやってきた。恐るべし。。。
kayaは狭い洞窟の中で写真には撮れなかった。お願い事をするたびに上の岩でガタガタ誰かが歩く音がする。何?
「ここの主だ。」と長老。匡哉は地鳴りだったと言うし、奥さんは何も聞こえなかったというし、とにかく凄いとこだった。
ここは何でも願い事が叶うところだというので、 「この村がいつまでも守られますように」 と神様に祈りました。
帰りの夕日がきれいだった。あせって解決しようとせず、どうにかなると信じてひたすら待っている。
そして本当にやってくる。そんなアフリカ人の生き方に目からウロコだった。。。
翌日長老の村にバイクで向かっていると、道の途中に長老が立っていて(神出鬼没!)こっちに来なさいと、
お茶を飲ませてくれた。昨日もらった薬草をスチームするといいと言って、連れてきてくれたのがここだ!!
直径3m以上あるバオバブの大木が倒れたところにまた上に向かってバオバブが立っている凄いとこだー!
その裏に、よその国からも治療に来るといわれる伝統治療師さんがいた!口は少ないが仕事ができるという名前の(笑)
薬草を燃やして煙を頭にそれがまたすごく良い香りで気持ち良く、浅草の浅草寺みたいに煙をあちこちにかけまくった。
長老は近道だと谷を越え歩いて村に帰るといい、私らはバイクで20分かけて家に行ったら、もうご飯食べてた(@0@;)
マタンガ(慰霊祭)があるというので長老に連れて行ってもらった。2席しか空いてないマタトゥに無理やり5人乗って(汗)、
それからバイクに3ケツで必死にしがみついてサバンナを30分でやっとたどり着いた。木陰に村のみんなが集まっていて、
そこで山羊をつぶして食べていた。美味しかった。そしてなんだかはじまりの合図もなくいつの間にか始まった。。。
村で見たときとは違う空気が漂っていた。センゲーニャが大好きだったというおばあちゃんの慰霊祭。
みんなの気合の入り方が半端なかった。祭りになるととたんにみんなカッコ良い!生き生きしている。
右のおじさんはうだつがあがらない感じだったのに、衣装つけて踊りはじめるとシャキっとしてまるで別人!
私がカッコいいな~と思ったおじさんは、匡哉に聞くと「普段は飲んだくれだよ~」と聞いて、ガーン(笑)
ムゼートーシャは鳥のように華やかだった!
この日の太鼓も凄かった!!匡哉もすごく楽しそう。地元の人が何で日本人が叩けるんだ?!
と間近でガン見していたのが笑えた。長老の太鼓はやっぱ全然違うと感動していた匡哉。
みんながすごく気持ちよさそうに踊っていて、見上げると澄みわたった素晴らしい空。きっと空からおばあちゃんはとっても
喜んでたのだろう。夢にまで見たセンゲーニャ、本物が見れて感動で涙出そうでした。詳しくは匡哉のレポートがあります。
匡哉が今まで見た中でも3本の指に入るくらい凄かったそう。http://maisha-raha.com/?p=2130
風の音が聞こえる静かで平和な村を名残惜しく後にしました。本当に天国みたいな村でした。
村の対岸はモンバサ。ここに大きな港を作り、レアメタルやスーダンの石油を運ぶために、
この村に高速道路が通る計画がありこの秋着工予定。日本のODA資金が出ています。
この平和な村がいつまでもここに残りますように。。。と祈る気持ちで後にしました。
長老の村のすぐそばに高速道路ができて、こんな状態です。砂ぼこりと排気ガスで息ができないほど。
高度経済成長期。たった5年まえまで、あの電気の無い村と同じようにのどかなところだったそうです。
出稼ぎの移住者が増えてスラム化し、治安が悪くなっています。あまりにひどい状況に悲しくてとてもショックでした。
港のコンテナヤードが立ち並ぶ。長老の村もいつ立ち退きになるかもわかりません。そして何の補償もありません。
遠い国の出来ごとではありません。この道路や港はレアメタルや石油のために日本や中国、アメリカが出資してます。
そしてアフリカは借金漬けに。。。
このような状況にとてもショックを受けたと話すと、長老は笑顔で
「大丈夫だ。周りは変わってしまってもドゥルマの魂は死なない。ドゥルマの魂は強い!」
素晴らしくポジティブで感動。ちょっとのことくらいで悲観してはいけないと思いました。
NAPENDA DRUMA!
なんとマテラ長老が7月末に沖縄へやってきます!キジムナーフェスタに呼んでもらえました!!
多分体力的にも日本へ来るのは最後だと思います。
マテラ長老の素晴らしい精霊を呼ぶ太鼓、聞きにきてください!!
2012年04月15日
精霊を呼ぶ太鼓の村編①
ナイロビからバスでガタガタ揺られ、途中キリンが見えたりバオバブのサバンナの大地をひたすら走り8時間でモンバサへ。
途中バスが衝突しそうになりあわや事故か!と思ったけど、急ブレーキでとなりの車線へ回避しなんとか無事でした(汗)
それにしてもかなり振動するバスでクタクタ。モンバサで1泊してからぎゅうぎゅうのマタトゥで30分でやっと到着すると。。。
マテラ長老が笑顔で迎えてくれました~。元気そうで良かった!よく来たね~と再会を喜ぶ。
マテラ長老は5年前に全国ツアーで沖縄へも来てくれました。精霊を呼ぶ太鼓と言われる名手です。
太鼓や薬草で病気を治したりする伝統治療師でもあります。主に心の病が得意なのだとか。。。
ミリティーニ村の精霊を呼ぶ太鼓センゲーニャ。ケニアの大地が見えたとき、この音楽が頭で流れていたので感無量!!
ダチョウの羽を背負った長老のムゼートーシャはおちゃめでとっても素敵な人。初めて会った気せず親せきのおじさんみたいな妙な親近感があります。ブラジャー付けて踊ってます。そうこうしてると子供たちもわらわら集まってきました~!
踊りに夢中になっていてマテラ長老の太鼓を撮るのを忘れてました(>_<)マテラ長老の息子ベマテモの踊りはすごかった。
この美しい集落の向こう側は、5年前にできた高速道路のすごい排気ガスと工場とコンテナヤードが広がっている。
出稼ぎに来る人が増え、ゴミも増え治安が悪くなり、次々と勝手に土地が売られ、ここもいつまでいれるかわからない。
マテラ長老の民族は先住民なので土地の所有権が無く、立ち退きにあっても何の補償も無い。photo by masaya
村のみんなで育てているスラムの孤児たち30人のジュンバ・ラ・ワトトを訪問。ここにいるのは虐待などでPTSDになり、マゴソでは面倒みるのが大変になった子供たちの家。「世界中の大人はすべての子どもの親である」という長老の教えの元で村のみんなで育ててみるみる元気に。マゴソの子たちより生き生きしていた気がした。そんな子どもたちが歌を歌ってくれました。
ここでもお礼に三線演奏しました。みんな静かに聞いてくれました。ジャンボをやったらみんなで歌ってくれました。
丘の上の斜面に建つジュンバ・ラ・ワトト。見晴らしの良い高台にあります。この素晴らしい自然環境と伝統的な自給自
足の村の暮らしで、子供たちの心が元気によみがえってきたのだと思いました。みんなが家族になって暮らしています。
学校帰りのこどもたち。ジュンバの前はこのように自然が広がるところでした。
しかし私が帰ってから2週間後、なんとここの原っぱが、モンバサーナイロビ道路からずっとムワムドゥドゥ小学校まであっという間に道路ができ、工事が始まってしまったそうです。どうやら工場のようで、すごく広大な面積です。
早川千晶さんが行ったときの話です。すごい数の若者たちが手に弓矢などの武器を持って40人くらいあの原っぱを歩いているので驚いて、「あれはいったい誰?」と聞いたら、立ち退きに抵抗している人々を排除するため、土地のオーナーになった工場の社長が雇って連れてきた悪い連中だと説明されました。その翌週にまた行ったときには、その悪い若者たちによって立ち退きをさせられて、すでに工事がはじまっていました。なすすべも無い村人たち。。。行く先の当てなどありません。
こうやって行くところがなくなって、スラムに行くしかなくなったりするのです。
船でわたって電気のない村へ。マングローブが群生している川を渡る。この船が満員になるまで出発しない。アフリカタイム。
1時間くらい待ったかな。途中角笛吹きのおじさんが来たり、帰りはこれに25人乗った上にバイクまで乗っけたのでびっくり!
川沿いの美しい村。風の音しか聞こえない電気の無い村に到着。そこは本当に平和なところだった。。。
精霊を呼ぶカヤンバ。村の人たちがいっぱい来ていた。葦で作った箱に豆を入れて振って鳴らし精霊を呼んでお伺い
をたてる。この楽器で病気を治したりする。悪い神様を踊らせて帰ってもらうそうだ。沖縄と文化が似ている気がした。
薬草の入った聖水を頭にかけながら、そのまわりを踊りながらぐるぐるまわる。大西匡哉君は一緒にカヤンバ演奏。
私も踊りながら輪に入る。村の端にある聖木のバオバブの木まで移動して、その前でグルグル回りながら踊り続ける。
日が暮れるまで踊り続け、最後に長老に呼ばれてバオバブの下の真っ暗な祠の中へ。。。
長老は私の幸せを祈ってくれて、3回頭突きをされた。けっこう痛かった(笑)幸せになるかな。
翌日カヤンバ職人のフォーティーさんの家を訪ねました。お茶と庭の木のカシューナッツを頂いたので三線を演奏。
子供たちがカシューナッツをトタン板で焼いてくれました。庭にたくさんのカシューナッツの木があって食べ放題。
みんなが庭でゆんたくしながら、次第に歌を歌い、コーラスが始まり、最後は踊りだす、日常に音楽があるのに感動。
フォーティーさんに沖縄の話を色々すると、これを沖縄に植えなさいと、種をもらいました。
この日は一番奥の集落に大好きなゴーマを聞きに。ゴーマは亡くなった人を送る歌。エイサーみたいな感じです。
ちょっと民謡っぽい旋律が郷愁をさそいます。各字で祭りがエイサー、綱引き、豊年祭だったり違う沖縄と似ている。
ここの集落は一番奥で、年配の人たちが多くもの静かで謙虚な感じ。カヤンバの集落は派手で関西系のノリでした(笑)
このでかいやすりみたいのをザッザと鳴らす。これで魔を除けるらしい。おじさまたちの渋い演奏がカッコイイです。
フォーティーさんも楽しそうに太鼓叩いています。三線を弾いたら、最後にみんなでゴーマの歌を教えてくれた。
ママメコンボの創ってくれる料理がとっても美味しかった。夜は真っ暗闇なので9時には眠くなり、普段は熟睡できない
のに、ママのゲストハウスは驚くほど熟睡できた。朝は7時に起きて、昼寝もして。それはきっと、多分電気が無いから
風の音が聞こえ、鳥や虫の声、森の音が聞こえ、満天の星空、満月の明かり、こんなにも平和で、穏やかで、健康的に
暮らせるのかと目からウロコだった。本当に時間がゆっくり流れ、不便かもしれないが人間らしい生活がそこにあった。
この村の精霊を呼ぶ太鼓のCD「SENGENYA」(写真左上)は工房アマムでも販売しています。¥2500
村の人たちに収益の一部還元されます。とってもオススメ。東アフリカの渋い太鼓とイスラムの哀愁ただよう旋律が心地よい。
郵送も致しますので、「オーナーにメッセージを送る」に、お名前、住所、電話番号、欲しいCDを書いてメールください。
工房アマム CD販売詳しくはこちら http://amamu.ti-da.net/e2912625.html
試聴できますhttp://www.myspace.com/jiwenamaisha/music/songs/zandale-5712191
精霊を呼ぶ太鼓の村②に続く。。。
途中バスが衝突しそうになりあわや事故か!と思ったけど、急ブレーキでとなりの車線へ回避しなんとか無事でした(汗)
それにしてもかなり振動するバスでクタクタ。モンバサで1泊してからぎゅうぎゅうのマタトゥで30分でやっと到着すると。。。
マテラ長老が笑顔で迎えてくれました~。元気そうで良かった!よく来たね~と再会を喜ぶ。
マテラ長老は5年前に全国ツアーで沖縄へも来てくれました。精霊を呼ぶ太鼓と言われる名手です。
太鼓や薬草で病気を治したりする伝統治療師でもあります。主に心の病が得意なのだとか。。。
ミリティーニ村の精霊を呼ぶ太鼓センゲーニャ。ケニアの大地が見えたとき、この音楽が頭で流れていたので感無量!!
ダチョウの羽を背負った長老のムゼートーシャはおちゃめでとっても素敵な人。初めて会った気せず親せきのおじさんみたいな妙な親近感があります。ブラジャー付けて踊ってます。そうこうしてると子供たちもわらわら集まってきました~!
踊りに夢中になっていてマテラ長老の太鼓を撮るのを忘れてました(>_<)マテラ長老の息子ベマテモの踊りはすごかった。
この美しい集落の向こう側は、5年前にできた高速道路のすごい排気ガスと工場とコンテナヤードが広がっている。
出稼ぎに来る人が増え、ゴミも増え治安が悪くなり、次々と勝手に土地が売られ、ここもいつまでいれるかわからない。
マテラ長老の民族は先住民なので土地の所有権が無く、立ち退きにあっても何の補償も無い。photo by masaya
村のみんなで育てているスラムの孤児たち30人のジュンバ・ラ・ワトトを訪問。ここにいるのは虐待などでPTSDになり、マゴソでは面倒みるのが大変になった子供たちの家。「世界中の大人はすべての子どもの親である」という長老の教えの元で村のみんなで育ててみるみる元気に。マゴソの子たちより生き生きしていた気がした。そんな子どもたちが歌を歌ってくれました。
ここでもお礼に三線演奏しました。みんな静かに聞いてくれました。ジャンボをやったらみんなで歌ってくれました。
丘の上の斜面に建つジュンバ・ラ・ワトト。見晴らしの良い高台にあります。この素晴らしい自然環境と伝統的な自給自
足の村の暮らしで、子供たちの心が元気によみがえってきたのだと思いました。みんなが家族になって暮らしています。
学校帰りのこどもたち。ジュンバの前はこのように自然が広がるところでした。
しかし私が帰ってから2週間後、なんとここの原っぱが、モンバサーナイロビ道路からずっとムワムドゥドゥ小学校まであっという間に道路ができ、工事が始まってしまったそうです。どうやら工場のようで、すごく広大な面積です。
早川千晶さんが行ったときの話です。すごい数の若者たちが手に弓矢などの武器を持って40人くらいあの原っぱを歩いているので驚いて、「あれはいったい誰?」と聞いたら、立ち退きに抵抗している人々を排除するため、土地のオーナーになった工場の社長が雇って連れてきた悪い連中だと説明されました。その翌週にまた行ったときには、その悪い若者たちによって立ち退きをさせられて、すでに工事がはじまっていました。なすすべも無い村人たち。。。行く先の当てなどありません。
こうやって行くところがなくなって、スラムに行くしかなくなったりするのです。
船でわたって電気のない村へ。マングローブが群生している川を渡る。この船が満員になるまで出発しない。アフリカタイム。
1時間くらい待ったかな。途中角笛吹きのおじさんが来たり、帰りはこれに25人乗った上にバイクまで乗っけたのでびっくり!
川沿いの美しい村。風の音しか聞こえない電気の無い村に到着。そこは本当に平和なところだった。。。
精霊を呼ぶカヤンバ。村の人たちがいっぱい来ていた。葦で作った箱に豆を入れて振って鳴らし精霊を呼んでお伺い
をたてる。この楽器で病気を治したりする。悪い神様を踊らせて帰ってもらうそうだ。沖縄と文化が似ている気がした。
薬草の入った聖水を頭にかけながら、そのまわりを踊りながらぐるぐるまわる。大西匡哉君は一緒にカヤンバ演奏。
私も踊りながら輪に入る。村の端にある聖木のバオバブの木まで移動して、その前でグルグル回りながら踊り続ける。
日が暮れるまで踊り続け、最後に長老に呼ばれてバオバブの下の真っ暗な祠の中へ。。。
長老は私の幸せを祈ってくれて、3回頭突きをされた。けっこう痛かった(笑)幸せになるかな。
翌日カヤンバ職人のフォーティーさんの家を訪ねました。お茶と庭の木のカシューナッツを頂いたので三線を演奏。
子供たちがカシューナッツをトタン板で焼いてくれました。庭にたくさんのカシューナッツの木があって食べ放題。
みんなが庭でゆんたくしながら、次第に歌を歌い、コーラスが始まり、最後は踊りだす、日常に音楽があるのに感動。
フォーティーさんに沖縄の話を色々すると、これを沖縄に植えなさいと、種をもらいました。
この日は一番奥の集落に大好きなゴーマを聞きに。ゴーマは亡くなった人を送る歌。エイサーみたいな感じです。
ちょっと民謡っぽい旋律が郷愁をさそいます。各字で祭りがエイサー、綱引き、豊年祭だったり違う沖縄と似ている。
ここの集落は一番奥で、年配の人たちが多くもの静かで謙虚な感じ。カヤンバの集落は派手で関西系のノリでした(笑)
このでかいやすりみたいのをザッザと鳴らす。これで魔を除けるらしい。おじさまたちの渋い演奏がカッコイイです。
フォーティーさんも楽しそうに太鼓叩いています。三線を弾いたら、最後にみんなでゴーマの歌を教えてくれた。
ママメコンボの創ってくれる料理がとっても美味しかった。夜は真っ暗闇なので9時には眠くなり、普段は熟睡できない
のに、ママのゲストハウスは驚くほど熟睡できた。朝は7時に起きて、昼寝もして。それはきっと、多分電気が無いから
風の音が聞こえ、鳥や虫の声、森の音が聞こえ、満天の星空、満月の明かり、こんなにも平和で、穏やかで、健康的に
暮らせるのかと目からウロコだった。本当に時間がゆっくり流れ、不便かもしれないが人間らしい生活がそこにあった。
この村の精霊を呼ぶ太鼓のCD「SENGENYA」(写真左上)は工房アマムでも販売しています。¥2500
村の人たちに収益の一部還元されます。とってもオススメ。東アフリカの渋い太鼓とイスラムの哀愁ただよう旋律が心地よい。
郵送も致しますので、「オーナーにメッセージを送る」に、お名前、住所、電話番号、欲しいCDを書いてメールください。
工房アマム CD販売詳しくはこちら http://amamu.ti-da.net/e2912625.html
試聴できますhttp://www.myspace.com/jiwenamaisha/music/songs/zandale-5712191
精霊を呼ぶ太鼓の村②に続く。。。
2012年04月14日
マゴソスクール訪問編!
マゴソスクールです。これがコの字になってる校舎と、もう1棟あります。ここの中は安全地帯。
左写真は幼稚園のこどもたち。みんなかわいい。 右写真は小学生のクラスです。
それぞれ将来の夢は弁護士や先生、看護師など発表してくれました。
(左写真)パソコンもあります。古くていらなくなったパソコンのリサイクル。携帯はみんな持ってます。けっこうハイテクです。
(右写真)ここでマゴソのチャリティーグッズは作られています。バック、スカート、小銭入れなど工房アマムで販売しています。
なんとマゴソスクールで奇跡的に井戸が湧いていた!工事していたときに発見。水質調査した結果、きれいな水で
問題ない。スラムには水道が無いのでみんな水を買っています。近所の人たちもくみにきます。神様っているんだな。
かまどで400人分の給食を作るママアギー。DVの夫から子供とマゴソに避難してきました。母子でも駆けこんできます。
ギゼリという豆ごはん。みんなで給食を運びます。
給食を並んで待つ子供たち。中には1日でこの1食しか食べられない子供もいます。
仲良くみんなで食べます。マゴソ財政ピンチ!!で「1食10円で食べられます募金」キャンペーン中で~す!!
今年6月で資金がなくなるところでしたが、キャンペーンでとりあえず11月まではなんとかなりそうです(汗)
募金ありがとうございました。しかし11月以降の見通しはたっていないので、引き続き募集してます!!
「1食10円で食べられます」募金箱置いてくれるお店募集しています。募金、お問い合わせマイシャ・ヤ・ラハ基金
たくさんの子供たちの歌声で迎えられました!マゴソスクールは小学生音楽大会の民謡部門でなんと2位になった実力。
みんなの元気な歌と踊りに感動しました。アフリカ人はやっぱリズム感が良くて踊りがうまい!笑顔と元気をもらいました。
真ん中にいるのはダン校長先生。スラムで苦労して育ち、今は身寄りのない子供たちも育てている。まだ35歳ですが、
音楽をやることで子供たちに生きる力や希望を持たせ、才能を開花させる教育、包容力のある素晴らしい校長先生。
マゴソの子供たちは成績優秀で評判でわざわざマゴソに来る子もいるとか。どんな場所にもすごい人っているんだな
マゴソOBで大工の職業訓練やってるサミエル君の伝統楽器。彼はこの楽器でケニアの伝統音楽全国大会で7位をとったつわもの。大西匡哉さんも真ん中で太鼓叩いてます。祈りの映像を撮影した大西さんです。上にも下にも子供たちいっぱい!
お礼に三線で演奏しました。後ろにいるのは長年マゴソを支えていたアマニ・ヤ・アフリカ仙台で被災した石原お母さん。
石原お母さんの亡き沖縄出身の旦那さまが好きだったという「てぃんさぐの花」を歌いました。匡哉さんのギターと一緒に。
震災後話題になった「祈り~キベラスラムから日本へ」はママ石原を思い、被災地の皆さんの事を思って思ってできました。
みんなが歌を作ってくれたよーって匡哉さんがyoutubeでUPしたのが、話題になってTVにまでも放映されびっくりでした。
最後に子供たちが石原お母さんの前で祈りの歌を合唱。お母さんも生で聞くのは初めて。とても感動していました(涙)
最初子供たち20人でマゴソを立ち上げたリリアン。今は400人に。自分の子供の他にこの子たちも引取って育てています。
写真右は子供たちの歌の先生オギラ教頭先生。マゴソスクールの盛り上げ隊長!なんとまだ26歳。スラム育ちで苦労していたところリリアンに助けられ学校へ。働きながら学校を卒業し弟を育てながら先生に。彼もなんと子供7人育てています。
ここの先生方は貧しいのにみんな子供たちをひきとって育ててすごい!スラムには本当に素晴らしい人たちがいます。
なんと5月リリアンとオギラ教頭先生が初来日決定~!!
全国ツアーやります!詳しくはマイシャ・ヤ・ラハ基金ホームページで。
残念ながら沖縄にはきません。。。沖縄にはスペシャルゲストが夏に来る予定です!乞うご期待。
千晶さんの講演会で必ず出てくるストリートチルドレンだったトニー君。高校生になってとってもカッコよくなってました!
感動~~。音楽好きでギターで作った良い曲をたくさん聞かせてくれました。沖縄民謡をとても気に入ってくれました。
マゴソのご飯美味しかったです。緑はスクマ(ケール)、白いのはウガリの代表的なケニア料理。辛くなくて美味しい。
この日はマゴソのOBOGで高校生になった子供たちと交流しました。環境問題など色々話しました。
政府の汚職の研究サークルに入って、スラムを代表する政治家になりたい子など、みんな意識が高い。
「こうして日本の人達と話し合うことで人間として同じなんだと思えて、自分の人生に感謝している」
という言葉が印象的だった。早川さんのスタディーツアーは日本、ケニアお互い良い影響を与えている。
この学校と会えてなければ今ごろどうなっていたかわからなかった子供たち。みんな立派に成長しています。
マゴソスクールの子供たちが歌うCDは工房アマムで販売しています。収益の一部はマゴソスクールの運営費になります。
郵送も致しますので、「オーナーにメッセージを送る」に、お名前、住所、電話番号、欲しいCDを書いてメールください。
工房アマム CD販売詳しくはこちら http://amamu.ti-da.net/e2912625.html
「TWENDE NYUNBANI」トゥエンデ ¥2500 (下左)
キベラスラムで悲惨な境遇からマゴソスクールと出会って生き還ったこどもたちによる天使の歌声。
ゴスペルが基調のその明るい唄に涙と元気が出てきます。太鼓と歌によるシンプルな仕上がり。
「MILELE」ミレーレ ¥2500 (下中)
キベラスラムの子供たちの待望のCD第2弾。バンド編成のバックで子どもたちの唄ものびのびと。
ライナーノーツにはそれぞれの子どもたちのすさまじい生い立ちが、これを読んで聴くと涙が出ます。
試聴できます http://www.myspace.com/jiwenamaisha/music/songs/anyango-23984987
2012年04月13日
ナイロビ・キベラスラム編
2月~3月にケニアに行ってきました。早川さんのスライドトークでだいたいのイメージはつかめていましたが、やはり実際に
行ってみると全然違いました。360度見渡せ、この空気感、匂い、五感に感じるもの、全て想像以上でした。熱い国ケニア。
念願のケニアの大地に到着!空が青い。大通りの路上では青空市。植木や壺、家具なんかもも売ってる。いい感じです。
しかし、信号が機能してなくて交通量がすごくかなりの渋滞、排気ガスがすごく臭くて、すぐに喉をやられてしまいました。
ナイロビは100年前まではライオンもいる様なサバンナだったのに、この急速な発展に都市の整備が遅れているようです。
展望台から見たナイロビの街。高層ビルがあって近代的。街はストリートチルドレンも排除し、ゴミも無くすごく奇麗に
していて一見先進国みたい。だが強盗が多く治安が悪いので外国人はあまり歩いてません。地球の歩き方に町を歩
くな、必ずタクシーを使えと書いてあった。ここから車で15分のところには100万人の暮らすスラムが広がってます。
毎週日曜日に都会の真ん中の駐車場で開かれるマサイマーケット。町にはお金持ち相手の近代的な大型スーパーマーケットやデパートがあり何でも揃っている。物価は結構高くてびっくりした。日本の7割くらいなのでスラムの人は買えません。アジアの方が安い。ケニアは近代化を目指してまっしぐら。このスーパーから歩いてたった10分のところにある巨大なキベラスラム。
見渡す限りのトタン屋根。ここに100万人がひしめきあって暮らしている。スラムのメインストリートは色んな商店で賑わって
活気があり、一つの町になっている。物乞いもほぼいない(ケニア人は物乞いは恥だと思っている)ので一見治安が悪いよ
うには見えないが、銃を持った強盗が頻発しているので油断はできない。水道も下水もゴミ捨て場も無いので散乱している。
8月の大統領選を控え、スラムの強制撤去もはじまり、このところとても治安が悪くなってきてるそうだ。photo by kein
スラムの中を走る鉄道。線路の上を歩きます。 前にいるのは護衛してくれる武装警官。後で私たちの後ろを歩いていた
白人の宣教師3人が強盗に襲われていた。護衛をつけてないと危ないのだ。治安が悪いので自力でスラムには立入らな
いでください。マゴソスクールに行きたい場合は早川千晶さんのスタディーツアーにご参加ください。 photo by kein
スラムの中のアート工房。8人のアトリエ。暴動のときpeace メッセージを描いたSOLO7は独立したらしいですが、
この工房の人たちも北欧やヨーロッパで展示会なんかもやってるそう。面白い作品がいっぱい。ハングリーだけど
自分のペースで作品作っている。このときもナイロビの高級なエリアで展示会をやっていた。 photo by kein
ゴミ捨て場も下水も何も無いから所々こんな状況。乾季だったから臭いはましだったが、雨季だったらぬかるみ最悪だろう。
写真右は日本のNGOでできたバイオガスのトイレ。このトイレの汚物からバイオガスを作る。スラムはフライングトイレットと言われ、夜は治安が悪いのでビニールに用を足して投げるような状況。こんなトイレがたくさんできればいいけれど。
結構起伏がはげしい場所もある。こんなスラムでも家賃が月に2000円もする。日雇いで何百円という人もいるし、物価も高いから厳しい。不法占拠だが大家さんもいる。キベラは独自の自治のルールでお互い助け合って暮らしている。一つの大きな町になっている
ナイロビ政府はスラムを全部撤去しようと計画中。アップグレードハウジングを一応は用意しているが、IDカード(出生証明書)を持っている人のみ。IDカードが無い本当に貧しい人たちには何の救済の手立ても無い。
右写真はアップグレードハウジング2年期限。スラムを区画ごとに分け、ここに移ってその間にスラム撤去する予定。家賃は1000円だが一家族(約6,7人)で6畳一部屋で他の家族と同居生活で狭く、煮たきはガス器具を買わないといけない(スラムでは炭)、商売ができないなどでスラムに戻る人が多い。家賃が安いからと金持ちがコネを使って住んでいたりもする。
見渡す限りのスラム。この写真の5倍以上広がってます。
故郷が開発などによって何の補償もなく立ち退きになりここへ来るしかなくなった人、家が貧乏で労働力として売られてきた人、エイズで村が全滅して来た人、部族間同士の争いで村を追われやって来た人、みんなそれぞれ様々な事情を抱えてスラムにたどり着く。
アップグレードハウジングに住んでる無職の若者に、「ここは2年契約だけど、2年後行く先もなく追いだされる不安はない?」
との質問に、何で?って顔で「先の心配??僕は今日もご飯が食べられて無事に生きてる事に毎日神様に感謝している。
先の事を心配してどうなるの?その時に考えればいい。神様はついているから何とかなるから心配なんかしてないよ。」
と語ったのが印象的だった。日本人は満ち足りているはずのなのに老後や先の心配ばかりして、今の幸せを感じていない。
何もないこの青年の方が幸せそうな気さえしてくる。こんな過酷な状況でも前向きに生きるスラムの人々。
いずれはここもすべて撤去される日が来るだろう。
スラムの人たちに全てに安住の地が与えられ、幸せに暮らすことができますように。。。
行ってみると全然違いました。360度見渡せ、この空気感、匂い、五感に感じるもの、全て想像以上でした。熱い国ケニア。
念願のケニアの大地に到着!空が青い。大通りの路上では青空市。植木や壺、家具なんかもも売ってる。いい感じです。
しかし、信号が機能してなくて交通量がすごくかなりの渋滞、排気ガスがすごく臭くて、すぐに喉をやられてしまいました。
ナイロビは100年前まではライオンもいる様なサバンナだったのに、この急速な発展に都市の整備が遅れているようです。
展望台から見たナイロビの街。高層ビルがあって近代的。街はストリートチルドレンも排除し、ゴミも無くすごく奇麗に
していて一見先進国みたい。だが強盗が多く治安が悪いので外国人はあまり歩いてません。地球の歩き方に町を歩
くな、必ずタクシーを使えと書いてあった。ここから車で15分のところには100万人の暮らすスラムが広がってます。
毎週日曜日に都会の真ん中の駐車場で開かれるマサイマーケット。町にはお金持ち相手の近代的な大型スーパーマーケットやデパートがあり何でも揃っている。物価は結構高くてびっくりした。日本の7割くらいなのでスラムの人は買えません。アジアの方が安い。ケニアは近代化を目指してまっしぐら。このスーパーから歩いてたった10分のところにある巨大なキベラスラム。
見渡す限りのトタン屋根。ここに100万人がひしめきあって暮らしている。スラムのメインストリートは色んな商店で賑わって
活気があり、一つの町になっている。物乞いもほぼいない(ケニア人は物乞いは恥だと思っている)ので一見治安が悪いよ
うには見えないが、銃を持った強盗が頻発しているので油断はできない。水道も下水もゴミ捨て場も無いので散乱している。
8月の大統領選を控え、スラムの強制撤去もはじまり、このところとても治安が悪くなってきてるそうだ。photo by kein
スラムの中を走る鉄道。線路の上を歩きます。 前にいるのは護衛してくれる武装警官。後で私たちの後ろを歩いていた
白人の宣教師3人が強盗に襲われていた。護衛をつけてないと危ないのだ。治安が悪いので自力でスラムには立入らな
いでください。マゴソスクールに行きたい場合は早川千晶さんのスタディーツアーにご参加ください。 photo by kein
スラムのメインストリートでは商店がつらなって、食品、日用雑貨、炭など色んなものを売っています。
(左写真)スラムの中の織物工房。羊毛やシルクを手紬ぎして、草木染めして素敵なショールを作っています。
(右写真)スラムの民間療法の薬屋さん。薬草療法師で惚れ薬も作れるとか。色んな人が相談に来るそうだ。
(左写真)スラムの中の織物工房。羊毛やシルクを手紬ぎして、草木染めして素敵なショールを作っています。
(右写真)スラムの民間療法の薬屋さん。薬草療法師で惚れ薬も作れるとか。色んな人が相談に来るそうだ。
トタンだけど壁に絵を描いたりして店構えはアートしてるかわいいお店がたくさんあった。センスがいい。
左は多分床屋さん。右写真のこのアートな壁の向こうはスラムのスラムのアート工房M2。photo by kein
左は多分床屋さん。右写真のこのアートな壁の向こうはスラムのスラムのアート工房M2。photo by kein
スラムの中のアート工房。8人のアトリエ。暴動のときpeace メッセージを描いたSOLO7は独立したらしいですが、
この工房の人たちも北欧やヨーロッパで展示会なんかもやってるそう。面白い作品がいっぱい。ハングリーだけど
自分のペースで作品作っている。このときもナイロビの高級なエリアで展示会をやっていた。 photo by kein
ゴミ捨て場も下水も何も無いから所々こんな状況。乾季だったから臭いはましだったが、雨季だったらぬかるみ最悪だろう。
写真右は日本のNGOでできたバイオガスのトイレ。このトイレの汚物からバイオガスを作る。スラムはフライングトイレットと言われ、夜は治安が悪いのでビニールに用を足して投げるような状況。こんなトイレがたくさんできればいいけれど。
結構起伏がはげしい場所もある。こんなスラムでも家賃が月に2000円もする。日雇いで何百円という人もいるし、物価も高いから厳しい。不法占拠だが大家さんもいる。キベラは独自の自治のルールでお互い助け合って暮らしている。一つの大きな町になっている
ナイロビ政府はスラムを全部撤去しようと計画中。アップグレードハウジングを一応は用意しているが、IDカード(出生証明書)を持っている人のみ。IDカードが無い本当に貧しい人たちには何の救済の手立ても無い。
右写真はアップグレードハウジング2年期限。スラムを区画ごとに分け、ここに移ってその間にスラム撤去する予定。家賃は1000円だが一家族(約6,7人)で6畳一部屋で他の家族と同居生活で狭く、煮たきはガス器具を買わないといけない(スラムでは炭)、商売ができないなどでスラムに戻る人が多い。家賃が安いからと金持ちがコネを使って住んでいたりもする。
見渡す限りのスラム。この写真の5倍以上広がってます。
故郷が開発などによって何の補償もなく立ち退きになりここへ来るしかなくなった人、家が貧乏で労働力として売られてきた人、エイズで村が全滅して来た人、部族間同士の争いで村を追われやって来た人、みんなそれぞれ様々な事情を抱えてスラムにたどり着く。
アップグレードハウジングに住んでる無職の若者に、「ここは2年契約だけど、2年後行く先もなく追いだされる不安はない?」
との質問に、何で?って顔で「先の心配??僕は今日もご飯が食べられて無事に生きてる事に毎日神様に感謝している。
先の事を心配してどうなるの?その時に考えればいい。神様はついているから何とかなるから心配なんかしてないよ。」
と語ったのが印象的だった。日本人は満ち足りているはずのなのに老後や先の心配ばかりして、今の幸せを感じていない。
何もないこの青年の方が幸せそうな気さえしてくる。こんな過酷な状況でも前向きに生きるスラムの人々。
いずれはここもすべて撤去される日が来るだろう。
スラムの人たちに全てに安住の地が与えられ、幸せに暮らすことができますように。。。